陰陽師というと平安時代というイメージが強いかもしれませんが、陰陽師が務めた「陰陽寮」は、奈良時代中期に施行された『養老令』下にあり、『養老令』は飛鳥時代末期に施行された『大宝令』とほとんど同じ内容です
陰陽師は明治維新後に撤廃されてしまいますが、律令制の下で出来た、中務省陰陽寮陰陽師は、江戸時代まで健在でした。
むしろ江戸時代には陰陽道信仰が盛り上がり、かなり多くの陰陽師が活躍したんですよ。
江戸時代は経済発展の時代です。様々な土地が開発され、様々な新しい施設が建設され、インフラが急速に整っていきました。
この時代の陰陽師は、土地の吉凶、建物の風水など占ったりするのに引っ張りだこで需要は高かったのです。
その他暦法の整備という重要な仕事も任されていました。
最強の陰陽師として名高い安倍晴明の子孫・土御門家は、江戸幕府より陰陽道宗家として認められ隆盛を迎えました。
また後に全国の陰陽師を統括する特権すら認められるようになり、各地の陰陽師に対する免状の独占発行権を得たのです。
土御門家の圧倒的な存在感に飲まれ、自然と他の家系は衰退していき、土御門家一強時代となりました。この力関係は陰陽師撤廃まで続きました。