安倍晴明と九尾の狐の化身「玉藻前」の関係

安倍晴明と玉藻前(たまものまえ)──平安のカリスマ陰陽師と、九つの尾を持つ伝説の妖狐。まるで宿命の対決みたいに語られがちですが、実はこの話、史実ベースでいくとちょっと違うんです。

 

「晴明が妖狐を見破った!」というイメージ、よく見るけど本当にそうだったのか?このページではその真相を、伝承と創作を交えてわかりやすくかみ砕いて解説します。

 

 

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玉藻前は平安末期の“妖艶なる化け物”

まず玉藻前とは何者か?というと、鳥羽上皇の妃に仕えた絶世の美女で、でもその正体は九尾の狐。彼女が宮中に入ってからというもの、上皇が体調を崩し、怪奇現象が次々と発生……。

 

そして、それらすべてが妖術によるものだと暴いたのが陰陽師・安倍泰成(やすなり)だったんです。

 

そう、この泰成こそ、晴明の子孫にあたる人物!

 

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晴明本人は関与していない?

この話、実は平安時代も終盤〜鎌倉時代に伝わったもので、安倍晴明の時代とは少しズレがあるんですよね。晴明は10世紀、玉藻前事件は12世紀ごろ。なので、伝承や記録上では晴明本人ではなくその子孫が活躍したというのが定説。

 

つまり、

 

晴明が玉藻前を倒した、というのはあくまで後世の創作

 

ということになります。

 

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でも創作の世界では“晴明VS玉藻前”が鉄板

とはいえ、近代以降の小説やアニメ、ゲームなどの創作では、なぜか「晴明が妖狐を見破った」という設定がめちゃくちゃ多い!

 

たとえばTYPE-MOON作品(Fateシリーズなど)や陰陽師を題材にした漫画・映画でも、九尾の狐=玉藻前と晴明が対峙する展開が定番になってたりします。

 

これってつまり、

 

“晴明=最強の陰陽師”というブランド力

 

が、玉藻前みたいな強キャラの相手にピッタリ合うからなんですね。

 

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玉藻前の最期と「殺生石」伝説

正体がバレた玉藻前は宮中から逃れ、那須野(現在の栃木県)で大暴れ。そこで武士や陰陽師たちが彼女の討伐に乗り出し、最終的には三浦介・上総介らによって討たれたとされています。

 

その死骸が化したとされるのが有名な「殺生石」。なんとこの石、近年も割れたことがニュースになるなど、「まだ妖気が残ってるのでは…?」なんて言われたりします。

 

殺生石割れた!吉兆か、それとも… 那須の国名勝(2022年3月15日)

 

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「系譜」としてのつながりに注目しよう

歴史的に見ると、玉藻前を退けたのは晴明の“系譜”に連なる者。つまり、晴明が築いた陰陽道の知識や力が、数世代を経て妖狐退治という大仕事につながったとも言えるわけです。

 

だから「晴明は関係ない」とバッサリ切り捨てるんじゃなくて、彼の遺産が後世を救ったと考えると、ちょっとロマンあると思いませんか?

 

五行要約

 
  1. 玉藻前を見破ったのは安倍晴明の子孫・安倍泰成だった!
  2. 晴明本人が退治したというのは後世の創作上の演出
  3. 近代作品では晴明と玉藻前の対決が人気設定となっている!
  4. 玉藻前の最期は那須野で討たれ、殺生石となったと伝わる!
  5. 晴明の霊的遺産が後の世に活きたという見方もできる!