
炎を背負い、怒りの形相でにらみを利かせる不動明王。ちょっとコワそうな見た目とはうらはらに、実はこの仏さま、めちゃくちゃ頼りになる守護の化身なんです!
もともとはインドの密教にルーツをもつ仏さまですが、日本に伝わってからは陰陽道ともがっつり関わって、怨霊や災厄から人々を守る大事な存在になっていきました。
このページではそんな不動明王の起源と歴史、そして陰陽師たちとどう関わってきたのかを、わかりやすくかみ砕いてご紹介します!
不動明王は、サンスクリット語で「アチャラナータ(Acalanatha)」、つまり「動かざる守護者」って意味の名前を持っています。インドの密教で、大日如来の命令を実行する化身=教令輪身(きょうりょうりんしん)として登場しました。
この仏さま、怒ったような顔をしてますが、実は迷いや煩悩を断ち切る慈悲の象徴。右手には剣、左手には羂索(けんさく)を持ち、背後には炎のオーラ!…って、まさに“煩悩ぶった斬るマン”って感じです。
中国に伝わった時代では、不動明王の像はあまり多く造られなかったものの、本命星の守護神や災厄除けの神として信仰されました。
また、十二支の守護星との関連から、十二神将や十二方位と結びつく形で扱われることもあり、天文思想との融合も見られます。
この辺りは後の陰陽道と不動明王が絡んでくる布石になったと考えられます。
日本には空海(弘法大師)が唐から持ち帰った真言密教の中で不動明王が登場します。高野山をはじめ、真言宗の重要な守護尊として深く信仰されるようになりました。
さらに、不動明王は五大明王の筆頭とされ、他の明王たちを束ねるリーダー的存在。天台宗・日蓮宗・禅宗・修験道など多くの宗派でも重要視されていて、江戸城には「五色不動」が設けられ、国の安泰を願う儀式にも登場しています。
ここからが本題!不動明王は、日本では陰陽道の護法神としてもめちゃくちゃ活躍していました。
有名なのが安倍晴明と不動明王の関わり。泣不動尊の伝承では、晴明が命を救うために泰山府君祭を行った際、不動明王が加勢して弟子を救ったと語られています。
そして陰陽道では、以下のような場面で不動明王の力が使われたとされています:
つまり、不動明王は呪術と儀礼の実働部隊みたいな存在。陰陽師たちは彼を呼び出して、悪霊退散や厄除けの儀式にバッチリ使ってたってことですね。
時代が下ると、不動明王は修験道や庶民信仰にも浸透していきます。
例えば、長野の飯縄権現なんかは不動明王と習合した山岳信仰の一例。ここでは武士たちが戦勝祈願をしたり、庶民が病気平癒を願ったりと、「民の守護神」として親しまれてきました。
また、陰陽師の拠点だった上御霊神社などにも不動明王像が祀られ、怨霊を鎮める存在としての立場も維持されていました。
現代でも不動明王は、厄除け・勝負運・心願成就の仏さまとして信仰され続けています。
五行要約