
お祓い(はらい)って、神社で厄除けしてもらうときや、車を買ったとき、家を建てるときなんかによく耳にしますよね。でも実はこれ、陰陽道の呪術的な儀礼から始まってるって知ってましたか?
日本の古代国家において、「祓」はただの迷信じゃなく、国家公認の呪術としてがっつり制度に組み込まれていたんです。このページでは、そんな「お祓い」の起源から現代までの歴史を、陰陽道の視点でわかりやすくかみ砕いて解説します。
「祓い」の起源をたどると、陰陽五行説や道教など中国古代の呪術・儀礼思想に行きつきます。
これらは、自然界や人間社会における穢れ(けがれ)や災厄を、「言葉」や「儀式」によって取り除くという考えに基づいていました。
そこに使われるのが、
つまり、「お祓い」は、自然と霊のバランスを整える、非常にシステマチックな儀礼だったんですね。
7世紀末、大宝律令によって陰陽寮が設置されると、陰陽師は国家公務員としての呪術者になりました。
特に注目したいのが、次のような国家行事で行われた公式のお祓いです。
こういった祓儀において、陰陽師が唱える呪文や儀式の作法が重要な役割を果たしていたんです。
平安期になると、「祓い」はますます儀礼化・宗教化していきます。
有名なのが大祓詞(おおはらえのことば)。これは日本神道の中でも特に重視された祝詞(のりと)で、陰陽道の呪術と結びついて宮中儀礼として定着しました。
このころ活躍したのが、安倍晴明や賀茂家といった陰陽師たち。彼らは、貴族や天皇からの依頼で、
などを実施し、いわば国家の霊的ガードマンのような存在だったんです。
中世以降になると、「祓い」は武家や庶民にも広がっていきます。
この頃から、修験道や地域信仰とも習合し、山伏や村の祈祷師などが「祓い」の実践者として活躍していきます。江戸時代にはこれが完全に民俗行事化して、「節分の豆まき」や「厄年のお祓い」など、今でも馴染みのある風習に変わっていきました。
明治維新以降、陰陽道は制度としては廃止されましたが、「祓」の文化は神道儀礼の中でしっかり生き残っています。
たとえば…
現代人の生活の節目にも、実は「陰陽道の祓い」の精神がひっそりと根付いているんですね。
五行要約