
安倍晴明の生誕地として知られるのは京都や大阪──そう信じ込んでいる人も多いかもしれません。でも実は、茨城県筑西市にも「晴明が生まれた」とされる伝承がしっかりと残っているんです。
その舞台は、筑波山のふもとに位置する猫島(ねこじま)地区。古文書『ホキ抄(ほきしょう)』に登場する「常陸国筑波根の麓猫島の生の人」という記述が、この地の伝承の出発点となっています。
このページでは、茨城に息づく晴明伝説の豊かな世界を、現地の地名や史跡、語り継がれる物語をもとにわかりやすくかみ砕いて紹介します。
まず注目したいのが、『ホキ抄』という陰陽道注釈書に残る記録。
「常陸国筑波根の麓猫島の生の人」
と書かれており、これが晴明が茨城の猫島で生まれたという説の根拠になっています。
もちろん、阿倍野(大阪)など他の生誕地説もありますが、茨城の猫島ではこの伝承をもとに地域の誇りとして晴明を祀り続けているんです。
猫島地区やその周辺には、晴明にまつわる名前を持つ地名や施設がいくつも存在しています。
まるで“晴明の人生そのものが地図に刻まれている”ような感覚になりますよ。
猫島の高松家には、1711年頃に作られた「晴明伝記」版木が保存されており、これは筑西市の文化財にも指定されています。
そこには五芒星(晴明桔梗紋)や九字紋がしっかりと彫られており、現代に残る貴重な資料として、晴明の“術の象徴”が伝えられています。
また、敷地内には晴明神社や晴明塚もあり、民間信仰と資料保管の両面から晴明の存在を今に伝えているんですね。
晴明が猫島で生まれたという伝承には、ちょっとユニークなお話も。
ある時、吉備真備が猫に囲まれて困っていたところ、そこに現れた童子(=幼い晴明)が猫を祓って助けた──という逸話があるんです。これが「猫島」という地名の由来になったとも言われています。
さらに、晴明の母が白狐=信太姫の化身であるという伝説も加わり、茨城の伝承は大阪・京都の「狐母伝説」ともリンクしてくるんですよ。
筑西市では、宮山ふるさとふれあい公園内に安倍晴明展示館を設置。パネルや資料で、地域の晴明伝承を市民や観光客に発信しています。
「歴史的事実かどうか」はさておき、地元の人々は晴明を自分たちの土地が生んだ守護者として大切に思っており、その精神が祭りや資料館に活かされているのがとても印象的です。
五行要約