
安倍晴明の力は“人知を超えていた”――そんな言葉を裏付けるような伝説が残っています。それが、晴明の蘇生術にまつわる話。単に他人を癒すだけじゃなく、なんと自分自身が一度死んで蘇ったというエピソードまであるんです。このページではそんな晴明の復活伝説を中心に、「死を超えた陰陽師」の一面を紐解いていきましょう。
まずは一番インパクトのある逸話から。宿敵蘆屋道満が晴明の妻や秘伝書『金烏玉兎集』を奪い、なんと晴明を殺害したという話が残っています。これだけ聞くと「終わった…」と思いきや、ここからがすごい。
晴明は一度死ぬものの、中国から来た恩師・伯道上人によって「生活続命の法」で蘇生!そして見事、道満の術を打ち破り、秘伝書を取り戻すという劇的な逆転劇が展開されるんです。
つまり、晴明は死から蘇ってなお、ライバルを打ち破るほどの力を持っていたということ。これは単なる武勇伝ではなく、「死を超えて使命を果たす者」として語り継がれてきました。
京都・真如堂に伝わる話では、晴明は一度死後、地獄で閻魔王の裁きを受けていたとされます。ところがそこに現れたのが、強力な仏神不動明王
その願いが受け入れられ、晴明は「蘇生の印(印影)」を授かり、現世へと戻ってきたという伝承が存在します。これは単なる蘇生術ではなく、「神仏から認められた術者」としての霊格の保証にもつながる逸話なんです。
さらにもう一つ、晴明が他者の命を救うために行った蘇生的な術も伝わっています。ある時、重病に倒れた師匠の命を救うため、晴明が弟子を身代わりにする形泰山府君祭
ところが驚くことに、弟子も師匠も無事だったというのです。これは、「命を差し出す覚悟」を見せることで神の心を動かした、あるいは術そのものがそれほど高次元のものだったという象徴でもあります。
晴明の蘇生術には、単なる医術的・呪術的な意味以上に、天界との関係性が大きく関わっています。不動明王からの印、不死を許す閻魔王、恩師から伝授された蘇命法――これらはすべて、晴明の術が神格的に保証されていたことを示しているんです。
つまり、彼の蘇生術は「たまたま命を救った」ものではなく、「生と死の境界を越える権限を持っていた存在」としての姿を象徴していると言えるでしょう。
こうした逸話が生まれた背景には、平安時代の人々が晴明に抱いた畏敬と信頼の気持ちがありました。彼が単なる長寿の賢者で終わらなかったのは、こうした超越者としての神話が広く語られていたからにほかなりません。
江戸時代以降もこれらの伝説は繰り返し脚色・継承され、いまなお「晴明は死ななかった」「転生して現れる」と信じる人すらいるほどなんです。
五行要約