賀茂氏の家紋「葵紋」の意味・由来

「葵の御紋」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、たぶん徳川家のあの三つ葉葵じゃないでしょうか?

 

でも実はあの葵紋、ルーツをさかのぼると賀茂氏にたどり着くんです。そしてそれは、陰陽道と不思議なご縁を持つ神と人をつなぐ“草の紋章”でもあるんですよ。

 

このページでは、賀茂氏の家紋としての「葵紋」の由来・意味・展開について、陰陽道との関係もふまえながらわかりやすく紐解いていきます!

 

 

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もともとは神社の神紋だった

葵紋とは、京都の上賀茂神社(賀茂別雷神社)と下鴨神社(賀茂御祖神社)の神紋として古くから使われてきたマークです。

 

モチーフは植物のフタバアオイ(二葉葵)。平安時代の頃から社殿の装飾や儀式の飾りに使われており、すでにこの段階で「神社を象徴する植物」として定着していたようです。

 

神社の神紋が、そのまま賀茂氏という氏族のアイデンティティになった、という流れなんですね。

 

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葵=神と逢う草

フタバアオイは、2枚のハート型の葉が向かい合ってついているのが特徴。その形状が「逢う(あふ)=合う」という語感に通じることから、「神と人が出会う聖なる植物」とされてきました。

 

特に上賀茂神社では、「神様が降臨するとき、葵を飾れ」という神託があったとも伝えられています。

 

この「神託+葵=神の象徴」という構図、まさに陰陽道でいう“神意を読み取る”という行為そのものですよね。

 

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葵祭との深いつながり

毎年5月15日に行われる葵祭(賀茂祭)は、京都三大祭のひとつですが、その名前の由来も葵の葉にあります。

 

祭りでは牛車や衣装、神輿などあらゆる場所に葵が飾られ、「神と現世をつなぐ目印」としての意味合いが強調されるんです。つまり、葵紋はただの飾りではなく、祭祀に不可欠な“霊符”だったともいえるんですね。

 

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武士団へ受け継がれる葵紋

賀茂氏を祖とし、その神社に深い信仰を寄せていたのが、のちの松平家。三河の賀茂郡(現在の愛知県)にルーツを持ち、賀茂神社を崇敬していた松平家は、二葉葵を家紋として採用しました。

 

この松平家こそが、のちに徳川家として天下を取ることに。ここで家紋は三つ葉葵(葵巴紋)へとデザインチェンジされ、江戸時代の権威の象徴になっていきます。

 

陰陽道と関わる賀茂氏の紋章が、政治の頂点にまで上り詰めた…そんなふうにも言えそうですね。

 

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葵紋のバリエーションと意匠の広がり

一口に「葵紋」といっても、実はそのデザインはけっこう多彩なんです。

 

  • 二葉葵:賀茂神社の神紋
  • 三つ葉葵:徳川家の家紋
  • 丸に三つ葵陰三つ葵など:分家・家臣団によるアレンジ版

 

微妙な違いで家の由来や分流がわかるようになっていて、いわば「紋章学」の世界でも奥深いジャンルなんですよ。

 

五行要約

 
  1. 葵紋は上賀茂・下鴨神社の神紋として生まれた!
  2. フタバアオイは神と人をつなぐ聖なる草だった!
  3. 葵祭では葵が祭具や衣装にたっぷり使われる!
  4. 松平→徳川家に受け継がれ、政治権威の象徴に!
  5. 意匠バリエーションも多く、家ごとの区別が可能!