
平安・江戸期の狩衣(かりぎぬ)図
「装束着用之図」より、狩衣を着用した人物の図解
出典:国立国会図書館/装束着用之図「狩衣」/パブリックドメインより
平安装束って「豪華で動きづらそう」って思いがちですが、陰陽師が着ていた服は、意外にも“動きやすさ重視”だったんですよ。しかも、その服装は平安貴族たちの日常着がベース!実はそこに、呪術や儀式のリアリティを支える工夫が詰まっていたんです。
このページでは、陰陽師が着用していた「狩衣」や「直衣」がどんな服で、どんな意味を持っていたのかを、平安の暮らしや装束文化を交えてわかりやすくかみ砕いて解説します。
狩衣(かりぎぬ)って、実はもともと「狩り」に行くときの服。だから袖がゆったりしてて、でも端は縫い合わされず、手が動かしやすい作りになっているんです。
つまり、陰陽師が現場で動きやすくするための装束としては、ぴったりだったわけですね。
平安装束:公家の直衣(のうし)
平安期以来、公家の日常装束として着用された直衣を再現した写真
出典:ウィキペディアコモンズ・パブリックドメイン(日本)より
直衣(のうし)は、もうちょっとフォーマル寄りの平安貴族の普段着。とはいえ狩衣よりも袖が筒状で、縫い合わせてあるから“きちんと感”があるんです。
晴明のような高位の陰陽師が「動ける+品のある」服を選ぶなら、直衣も選択肢になったんですね。
普段の仕事だけじゃなく、神事や祈祷、宮中での儀式でも着るとなると、やっぱり見た目も重要。でも堅苦しすぎるのはNG。そこで活躍するのが狩衣や直衣の“中間感”なんです。
つまり、陰陽師の服って実用性・霊性・品格のバランスが超大事だったんです。
晴明の伝説では、なんと高野山の霊木から織った布=「樹木布(じゅもくふ)」で狩衣を作ったなんて話も残ってるんです。
装束の素材や色選びにも、ちゃんと意味や祈りが込められていたんですね。
平安貴族の狩衣(かりぎぬ)を着用する神職
布を重ね着し、袖が部分的に開いた動きやすい狩衣姿(熱田神宮にて)
今でも神社の神職さんが狩衣を着てるの、見たことあるかもしれません。それこそが、陰陽師装束の名残なんです。
つまり、現代の和装の中にも、まだまだ陰陽師のエッセンスが生きてるってことなんです!
五行要約