
昔、「陰陽師になりたい!」と思ったら、いったいどうすればよかったのか?「資格」や「専門学校」があるわけじゃありません。でも、しっかりとした“登用ルート”はあったんですよ。
このページでは古代日本で陰陽師になるためのプロセスをメインに、ついでに現代で“陰陽師っぽく”なるにはどうすればいいか、わかりやすくかみ砕いて解説します!
『たまものまへ』
江戸時代初期の奈良絵本の絵。陰陽師が算木で占いを行う様子を描いている
出典:Tamamonomae Onmyoji / Public domainより
古代・中世の日本では、陰陽師は「国家公務員」みたいなものでした。じゃあその公務員になるにはどうしたかというと…答えはズバリ「陰陽寮(おんみょうりょう)」に入ること!
陰陽寮は飛鳥時代の天武天皇※によって創設された、占星・天文・暦などを専門に扱う役所で、ここに入って陰陽道や天文、暦法、地相などを専門的に学ぶ「学生(陰陽生)」になるのが最初のステップでした。
もちろん誰でもなれるわけじゃなく、ある程度貴族階級や学者の家系に生まれていることが前提だったんですよ。
※天武天皇(てんむてんのう)
飛鳥時代の天皇で、壬申の乱(672年)で勝利して即位。律令制や中央集権体制の基礎を築き、『古事記』『日本書紀』編纂の起点をつくるなど、日本古代国家の形成に大きな影響を与えた。
渾天儀(こんてんぎ)
陰陽師も天文観測に用いた天球儀で、赤道帯や黄道帯などが詳細に示されている図版
出典:Armillary sphere, Plate LXXXVII / Public domainより
陰陽寮に入った学生たちは、数年〜十数年かけて高度な勉強をしていました。内容は…
この中で優秀と認められた者だけが「陰陽師」に任命されるんです。人数もごくわずかで、平安中期の段階では6人しかいなかったと言われています。
つまり、めちゃくちゃ狭き門だったわけですね…。
土御門家(安倍氏)の家紋『揚羽蝶』
陰陽師が装束や調度にも取り入れた雅な意匠。天文観測の儀式空間にも調和するデザイン
出典:Ageha inverted.svg / Public domainより
中世以降になると、状況が少し変わります。平安時代のスーパースター安倍晴明の子孫たち(=土御門家)が陰陽師の地位をほぼ独占するようになったんです。
この土御門家が陰陽寮の人事も管理し、自分たちで免状を発行して弟子を育成する体制になっていきました。
こうなると、実力よりも家系やつながりが重要になっていくという…よくあるお役所あるあるですね。
さて、明治時代になると陰陽寮は廃止され、暦作成も民間や学術機関に引き継がれ、陰陽師の公的地位は消滅しました。
つまり、現代では「本物の陰陽師」にはなれません。
これまで「天社神道」と称し、土御門家から免許を受けた者たちが、帯刀したり、絵符(陰陽道の標や護符など)を掲げて宿場や駅を自由に通行していたという。これはまったく道理にかなわないことであるため、今後そのような行為はすべて禁止とする。また、今後は門人(弟子)の免許についても一切を禁じるよう、今回、土御門和丸(※当時の土御門家の当主)に対して正式に命令が下された。したがって、府・藩・県においても、この命令の趣旨を十分に理解し、所管の地域内でしっかりと取り締まりを行うこと。
陰陽寮廃止の一環として出された天社禁止令の条文の現代語訳
出典:『法令全書 明治3年』第七百四十五の項)/国立国会図書館デジタルコレクションより
ただし“陰陽師っぽく活動する”ことはできます。今では次のような方法で「自称・陰陽師」になる人も増えてます。
もちろん、国家資格とか公的な認定はありません。なので「名乗るのは自由、でも中身が大事」ってことですね。
「陰陽師」を名乗る人の中には、すごく真面目に勉強してる人もいれば、ちょっとファンタジー寄りな人もいます。
例え自称であろうと、陰陽師になる上で大事なのは、
人を導く職業であるという自覚を持つこと。
現代の「陰陽師」は、ある意味では「心の支えを与える相談役(セラピスト的存在)」だったりします。ただの“職業”というよりも、生き方そのものが問われる存在なんですね。
五行要約