陰陽助(おんみょうのすけ)──この名前、ちょっと地味に聞こえるかもしれませんが、実は陰陽寮の中枢を支える超・重要ポジションなんです!
このページでは、陰陽寮の運営を影から支えた次官「陰陽助」の役割や歴史的意義について、しっかり解説します!
陰陽頭をサポートするナンバー2
陰陽助は、陰陽寮における次官にあたり、陰陽頭(長官)の下で日々の業務を支える存在でした。
官位は従六位上で、陰陽頭(従五位下)より一段下のポジションです。
たとえば、陰陽頭が天皇に奏上に出向いている間や、多忙で手が回らないとき。そういうときに、代わりに実務をまわしていたのが、この陰陽助だったんですね。
どんな仕事をしていたの?
陰陽助の主な役割は、大きく分けて2つありました。
- 陰陽頭の補佐と代理:業務の代行、会議の進行、緊急対応など
- 部門間の調整役:博士や允・属といった下位職との橋渡し、寮全体のスムーズな運営をサポート
つまり、「上を支え、下をまとめる」影の実力者って感じですね。
組織上の立ち位置を図でチェック!
陰陽寮内での階層は、以下のように構成されていました。
陰陽寮の組織図
-
管轄
- 長官
陰陽頭
-
管轄
- 次官
陰陽助/陰陽権助
-
管轄
- 判官級
陰陽大允/陰陽少允
-
管轄
- 主典
陰陽大属/陰陽少属
-
管轄
- 技官・教育系
- 陰陽部門:陰陽博士 + 権博士(陰陽生10+得業生3,陰陽師6)
- 天文部門:天文博士+権博士(天文生10+得業生2)
- 暦部門:暦博士+権博士(暦生10+得業生2)
- 漏刻部門:漏刻博士+守辰丁(漏刻博士2+守辰丁20)
-
管轄
- 庶務系
使部20、直丁2~3
このように、陰陽助は実務と人事のハブとして配置され、陰陽寮全体の舵取りを担っていたんです。
いつ頃から登場した役職なの?
この役職は、律令制の官制に基づいて設置されたもので、中国・唐の太史局に倣ったとされています。
日本では古くから見られ、安倍晴明の子・吉平が陰陽助に就いたという記録もあるため、平安時代中期にはすでに名家による世襲的な登用もあったようです。
また、のちには権助(ごんのすけ)という補佐職が追加され、陰陽助2人体制で寮務を運営する構造に進化していきました。
陰陽助の情報まとめ
| 項目 |
詳細 |
| 職名 |
陰陽助(次官) |
| 官位 |
従六位上(陰陽頭より一段下) |
| 役割 |
陰陽頭の補佐・代理、部門運営の調整 |
| 補佐制度 |
後に権助(補佐役)を設置し、2名体制に |
| 歴史的人物 |
安倍吉平(晴明の子)が就任した記録あり |
五行要約
- 陰陽助は陰陽寮における次官ポジション!
- 陰陽頭の補佐・代理を務め、実務の中枢を担った!
- 部門全体の調整役として、陰陽寮の運営を支えていた!
- 平安時代には権助も設置され、2名体制で進化!
- 安倍晴明の子・吉平も就任していた由緒ある役職!