
賀茂氏と物部氏──名前はよく聞く古代氏族ですが、実はこの二つ、起源も役割も性質もまるで正反対。なのに、同じ時代に共存し、互いの仕事を補い合うような関係性を築いていたんです。
このページでは、「祭祀と軍事の二極構造」という視点から、賀茂氏と物部氏の関係を、神話から制度、陰陽道の世界までまるっと解説します!
賀茂氏の祖は賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)。神武天皇を導いた「八咫烏」と同一視される神で、天意を伝える導きの神として信仰されています。
対して物部氏は、天孫族の饒速日命(にぎはやひのみこと)を祖とする武人系の氏族で、武器や兵器の製造を司っていたことで知られています。
つまりこの時点で、
という構図が見えてきますね。
古代国家において、氏族は「神話的役割=社会的機能」を帯びていました。
物部氏はその名の通り「モノ=兵器・武具」の製造・管理を担い、戦や刑罰に関する祭儀にも関与していました。
一方の賀茂氏は、農耕・暦・天文などに関連し、特に神社祭祀や陰陽道的知識を担う氏族として成長していきます。
そして、
このように、物理的な力と精神的な力で、国家の安定を支えていたわけです。
両氏族は、奈良県葛城地方に根をもつ葛城氏をルーツとするという説もあります。
つまり、もともとは同じ渡来系または古代豪族の一部だったのが、時代と共に武器専門の物部氏と、呪術・祭祀専門の賀茂氏に分かれていったという考え方です。
この説に立つと、両氏はライバルというより兄弟のような存在だったとも言えそうですね。
面白いのは、物部氏が中央で台頭していた時代でも、賀茂氏は地方(山城)で着実に神社や祭祀圏を広げ、武力衝突を避けながら棲み分けていたこと。
賀茂氏は神武東征の正統性を担保する一族として、物部氏とは敵対関係ではなく相互補完の関係を築いていたようです。
陰陽道の観点から見ても、
といった形で、国家のバランスに不可欠な両翼だったとも解釈できます。
物部氏は国家祭祀・神宝管理を担い、戦の前後に行う神武具の儀礼や刑罰の神事などに関わっていました。
賀茂氏は陰陽寮を通して暦・天文・呪術を統括。とくに賀茂忠行・保憲らの活躍で、朝廷における精神的支柱の役割を果たしていきます。
つまり、どちらも「神の力」を扱う立場ですが、物部氏は“神の武器”を、賀茂氏は“神の言葉”を使うことで、国家に奉仕していたんですね。
五行要約