
安倍晴明の“伝説の師匠”といえばこの人、賀茂忠行(かもの ただゆき)。陰陽道を語るうえで欠かせない存在で、ただの師弟関係にとどまらず、晴明の活躍を支えた陰陽界の巨人でもあります!
このページではそんな忠行がどんな人物だったのか、逸話や史実をまじえてご紹介します。
賀茂忠行は平安時代中期の陰陽家で、醍醐天皇・朱雀天皇・村上天皇の三代に仕えた国家公認の陰陽師でした。位階は従五位下、官職は丹波権介などを歴任し、当時としてはかなりの高位貴族だったんです。
そして彼がすごいのは、陰陽道・暦道・天文道の三つすべてに通じていたということ!普通はどれか一つだけで十分なのに、忠行はそれをすべて極めてしまったというスーパーオールラウンダーだったんです。
『今昔物語集』には、忠行と幼い晴明との出会いが描かれた有名なエピソードがあります。
ある夜、二人で牛車に乗って都を歩いていると、晴明が「百鬼夜行が近づいている!」と忠行に告げます。忠行が外を見ると……確かに恐ろしい鬼たちの行列が!
忠行は急いで方術(隠身術)を使って二人の姿を隠し、事なきを得たのですが・・・
「鬼の姿を見抜ける子どもなんて、普通じゃない・・・!」
・・・と忠行は、晴明の非凡な才能に気づき、「自分のすべてをこの子に伝えよう」と決めたそうです。
忠行の特技といえば射覆(せきふ)。これは、箱や袋の中に何が入っているかを占いで言い当てるという、いわば“透視術”のような技です。
この占術を朝廷の前で披露し、「天下に並ぶ者なし」と称賛されたほど。科学のような方法論がまだなかった時代、こうした能力は国家の未来を左右するレベルのものでした。
忠行の教えは、実の息子賀茂保憲(かもの やすのり)と、弟子の安倍晴明にそれぞれ引き継がれました。
こうして、忠行の教えは二つの柱に分かれて陰陽寮を実質的に支配する体制ができあがっていきます。つまり忠行は陰陽界の祖のひとりとも言えるんですね。
伝承によると、忠行は温厚な性格で知られ、弟子たちには知識を惜しみなく伝えるタイプだったといいます。
晴明に対しても、「瓶に水を注ぐように」その才能に合わせて丁寧に教えたとか。厳しすぎず、でも芯のある人物――まさに理想の師匠像だったんです。
五行要約