安倍晴明の年表|主な出来事を時系列順に

安倍晴明というと、「伝説の陰陽師」ってイメージが強いですが、実際には平安時代にリアルに活躍した宮廷官僚であり、天文学者であり、呪術師でもあったんです。

 

このページではその晴明の生涯を、「年表」というかたちで時系列に追っていきます。どのタイミングで何をしていたのかがパッとわかるように、主要な出来事と共にまとめました!

 

年代・日付 出来事・内容
少年期〜青年期:陰陽道との出会い
921年2月21日(延喜21年1月11日) 安倍晴明、誕生。父は中級貴族の安倍益材
930年代〜940年代 幼少期より賀茂忠行・保憲に師事し、陰陽道と天文の基礎を学ぶ。この時期、百鬼夜行を見抜いたという伝説も。
官僚キャリアの始まりと陰陽寮での出仕
960年(天徳4年、39歳) 宮廷に「天文得業生」として初登場。内裏火災の対応記録が残る。
968年(安和元年、47歳) 正式に陰陽寮へ出仕。暦・天文・占術の実務に関わり始める。
儀式のスペシャリストとしての活躍期
979年(永観元年、59歳) 皇太子(のちの花山天皇)の命で那智山の天狗封印を執行。
同時期 一条天皇の病気平癒に際し、禊や祓いの儀式を行い、政治的信頼を確立。
1000年(長保2年、79歳) 後一条天皇の内裏遷都に際して反閇(はんべい)の儀を執行。国家の地相改変儀式を担当。
晩年と死後の神格化
1005年10月31日(寛弘2年9月26日) 死去。享年84。官位は従四位下・天文博士
1007年(寛弘4年) 一条天皇の命により、旧邸宅跡に晴明神社が創建される。

 

このように、安倍晴明は、幼少期から陰陽道の英才教育を受け、平安時代中期に陰陽寮での出仕を経て天文・占術の第一人者となりました。

 

宮廷では火災対応から天狗封印、反閇の儀まで多彩な任務をこなし、天皇の信頼を得て国政に影響を及ぼす存在へと成長。

 

死後は神格化され、晴明神社が建立されるなど、その名声は後世まで語り継がれています。生涯を通して国家と呪術の狭間で活躍した、まさに“実在した伝説”といえる人物なんですね。

 

五行要約

 
  1. 921年に誕生し、若くして賀茂家に師事!
  2. 960年に宮廷へ登場、「天文得業生」としてキャリア開始!
  3. 979年〜1000年にかけて、天狗封印・反閇など国家儀式を主導!
  4. 1005年に死去、従四位下の高官として葬られる!
  5. 1007年に晴明神社が創建され、神格化と伝承が始まる!