
古代の山野にうごめく異形のもの――その代表格ともいえるのが土蜘蛛(つちぐも)。平安時代には、巨大な蜘蛛の妖怪として語られ、都を脅かす恐怖の存在となりました。
その土蜘蛛を退治したとされるのが武将源頼光。けれど、実はその背景には、陰陽師・安倍晴明の存在が隠れていたという説があるんです。直接戦うわけではなくても、呪術と式神で都を守るという役割を果たしていたというわけ。
このページでは、「戦う武」と「護る術」の交差点である、土蜘蛛伝承と陰陽師の裏側に迫っていきます。
土蜘蛛という名前、ちょっとインパクトありますよね。元は『日本書紀』に登場する、朝廷に従わなかった「まつろわぬ民」を指す言葉だったんですが、時代が進むにつれて妖怪としてのイメージが強くなっていきます。
とくに平安以降になると、巨大な蜘蛛の姿で描かれることが多く、人を病にしたり糸で絡めて動けなくしたりする恐ろしい存在として定着していきました。今でいう“妖怪スパイダー”みたいな感じですね。
『平家物語』などに語られる有名な話では、武将の源頼光が謎の病に伏せっていた夜、見舞いに来た大僧正が実は土蜘蛛の化身。それを刀で斬りつけると、血の跡をたどった先に巨大な蜘蛛の本体がいて、頼光が退治するという流れ。
この時使われた名刀「膝丸」は、のちに蜘蛛切と名を変え、伝説の武器として語られるようになります。この話、能や浮世絵にも描かれていて、まさに怪異退治の定型になってるんですよ。
実は、土蜘蛛の討伐には安倍晴明が関わっていたという直接的な記録はありません。でも『大江山絵詞』などには、晴明の式神が都を見張っていたという話が残っています。
つまり、妖怪が都に入り込めなかったのは、晴明の結界や呪術のおかげだったかもしれないってことなんです。土蜘蛛が都に到達できたとしても、裏では晴明の霊的防衛網が張られていた――そんな裏設定的な見方が語られているんですね。
陰陽師の役割って、占いだけじゃなくて、ある意味で「都の安全保障」でもあったんです。だから、妖怪退治もただのファンタジーじゃなくて、政治的プロパガンダとして語られている面も。
晴明が使っていた式神=情報収集・防衛の術と考えれば、頼光の武力とセットで語られるのも納得です。これ、まるで忍者と武将のコンビみたいですね。
土蜘蛛の伝説は、奈良の葛城や京都の北野神社周辺など、今でも「塚」や「遺跡」として残っています。こうした土地は昔から妖怪スポットとして知られ、人々に語り継がれてきました。
また、絵巻『土蜘蛛草紙』や能の『土蜘蛛』など、芸術作品としても長く愛されています。現代ではアニメやゲームの題材にもなっていて、土蜘蛛は“最恐クラス”の妖怪キャラとして活躍中です。
五行要約