
「陰陽師」といえば、歴史ドラマやゲームでは時に女性キャラも登場しますが……実は、史実ではすべて男性だったって知ってましたか?
「えっ、なんで? 女性でも霊感が強い人いそうなのに」と思うかもしれませんが、そこには当時の制度と社会の“縛り”が大きく関係していたんです。
このページでは、女性陰陽師がなぜ実在しなかったのか?その理由を制度・文化・歴史の面からわかりやすくかみ砕いて解説します!
『たまものまへ』
江戸時代初期の奈良絵本の絵。陰陽師が算木で占いを行う様子を描いている
出典:Tamamonomae Onmyoji / Public domainより
まず知っておいてほしいのが、陰陽師はれっきとした国家公務員だったってこと。しかも律令制においては、男性にしか許されない「男官」というカテゴリに分類されていたんです。
当時の法令(養老令)では、陰陽寮の構成員はすべて男性とされており、定員制で人数も決まっていました。だから女性が入り込む“枠”すらなかったんですね。
一方で女性は巫女(みこ)として神社儀礼に関わることはできましたが、それは神道系の宗教職であって、陰陽師とは別モノだったというわけです。
とはいえ、「陰陽道=男の世界」ってわけではなくて、知識を持っていた女性も中にはいたんですよ。
たとえば、賀茂保憲の娘には占術や天文について学んでいたという記録も残っていて、家系内で知識を共有していた可能性があります。でも、彼女が「陰陽師」として認定されたことはなく、あくまで非公式な存在でした。
つまり、学ぶことはできても、“名乗る”ことはできなかったんですね。
平安時代の中期以降、陰陽師の世界は五家制度(賀茂家・安倍家など)でがっちり固められていました。これがまた、女性の進出を難しくした要因です。
なぜなら、家の跡継ぎ=男子というのが当たり前の時代だったから。陰陽道の技能は基本的に「家伝」として息子へ伝えられるもので、女性はその伝承ラインに入れなかったんです。
陰陽師の“職業訓練”すら、男性しか受けられない構造になっていたというわけです。
もう一つ大きな理由が、儒教による男女観の影響。とくに平安後期から鎌倉時代にかけて、男は表に出て働き、女は家を守るという考え方が定着していきました。
これが宗教職の世界にも影響して、神職も男性主体に、女性は巫女や補佐的な役割に限定される傾向が強くなっていったんです。
つまり、たとえ霊感や知識があっても、「女性が前に出るのはふさわしくない」という空気が、制度面からも文化面からもじわじわ女性を締め出していったわけです。
では近代や現代に入ってからはどうなの?と思うかもしれませんが……史料上、女性陰陽師が正式に存在した記録は今のところ見つかっていません。
最近は創作作品やエンタメの影響で、女性陰陽師キャラも人気がありますが、これはあくまでフィクションの世界。事実としては、「陰陽師=男性」というのは当時の制度の必然だったんです。
現代では男女問わず霊能者や風水師として活躍する人もいますが、古代〜中世の陰陽師という“職業”には、歴史的に女性の席はなかったというのが実態です。
五行要約