陰陽寮の歴史|廃止はいつ?現在の姿とは

陰陽寮という名前、陰陽道に興味ある人なら一度は聞いたことがあると思います。でも実際のところ、いつまで存在していたのか、そして今どうなってるのかって、意外と知られていないんですよね。

 

このページでは、陰陽寮の誕生から消滅、そして現在における影響まで、時代ごとに整理してみました!

 

 

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陰陽寮の始まりは天武天皇の時代

陰陽寮が歴史に初めて登場するのは、天武天皇4年(675年)。この時期、律令制の整備が進んでいた日本では、国家の方針や吉凶を占う必要性が高まり、専門機関としての陰陽寮が登場しました。

 

のちに、大宝律令(701年)で制度的に確立されて以降、陰陽寮は朝廷の正式な官庁としてずっと続いていきます。ちなみに、一時期だけ「太史局」と名前が変わってたこともあるんですよ(天平宝字2年〜8年/758〜764年頃)。

 

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明治政府による廃止と規制

時代が明治に入ると、日本は近代国家を目指して急速に西洋化を進めます。そのなかで、陰陽寮は時代遅れの迷信と見なされ、次のような流れで廃止されました。

 

  • 明治2年(1869年):最後の陰陽頭・土御門晴雄が死去
  • 明治3年(1870年):陰陽寮が正式に廃止。同年、「天社神道禁止令」で陰陽道の宗教活動も禁止
  • 明治5年(1872年):太陰太陽暦から太陽暦へ移行、暦制作業務も大学校や海軍水路局に引き継がれる

 

つまり、国家公認の陰陽師制度はここで完全終了となったわけですね。

 

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その後の陰陽寮の影響と復興の動き

制度としての陰陽寮は消滅しましたが、文化や慣習の中では名残がしぶとく残っています。たとえば、現代のカレンダーで見かける六曜や暦注などは、陰陽寮の仕事の名残といえるんです。

 

一方、土御門家は昭和になってから天社土御門神道として復興運動を開始。神社や仏閣に暦を配布したり、文化的継承者として静かに活動を続けています。

 

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今でも陰陽寮ってあるの?

はっきり言うと、現在の日本に「陰陽寮」は存在していません。もちろん、国家資格の陰陽師もいません。たまに自称する人もいますが、公式な資格制度はなし。

 

ただし文化的には、占いや開運術などの世界で「陰陽道」の名を冠する団体や活動があるのは事実です。

 

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廃止から現在までの流れを時系列でチェック

変遷がわかりやすいように、ざっくりと表にまとめてみました!

 

時期 出来事
675年 陰陽寮が設置される(天武天皇の時代)
758〜764年 一時的に「太史局」と改称(藤原仲麻呂の改革)
1870年(明治3年) 陰陽寮が正式に廃止される。「天社禁止令」も発布
1872年(明治5年) 太陽暦の採用で、暦作成の役割が他機関に移管される
1946年〜 天社土御門神道として土御門家が再興。暦や儀式の継承が続く
現在 陰陽寮は制度として消滅済。文化的要素だけが細々と生き残っている

 

五行要約

 
  1. 陰陽寮は675年に成立し、律令制とともに国家制度に組み込まれた!
  2. 明治3年(1870年)に正式廃止。以後、国家制度としては存在しない!
  3. 太陽暦の導入で、陰陽寮の暦作成機能は他機関にバトンタッチ!
  4. 土御門家は昭和以降、「天社土御門神道」として文化的継承を試みている!
  5. 今の日本に陰陽寮も国家資格の陰陽師も存在しないが、暦注などの名残は健在!