安倍晴明の墓地はどこ?

安倍晴明の墓地はどこ?

墓地としてもっとも広く認識されているのは、京都市右京区嵯峨天龍寺角倉町にある「嵯峨墓所」であり、陰陽師として名を馳せた安倍晴明が葬られたと伝えられている。 ただし、この場所も含めて、晴明の墳墓は全国に複数伝承が残っており、どこが真の埋葬地であるかは定かでない。 それでも嵯峨の墓所が公式に扱われ、信仰や巡礼の対象として現在も維持されているといえる。

各地に刻まれた記憶──謎多き「安倍晴明の墓の所在地」を紐解く

安倍晴明が亡くなったのは寛弘2年(1005年)


ですが──彼のお墓が「ここ!」と一つに定まっていないのをご存じですか?


実は、日本全国に晴明の墓と伝えられる場所が複数存在するんです。このページではそんな謎多き晴明の墓地について、有力な候補地を中心にご紹介します!



h3
もっとも有名な「京都・嵯峨墓所」


まず第一に挙げられるのが、京都市右京区嵯峨野の寿寧院跡にある墓所。ここには五輪塔が建てられ、晴明の墓とされています。


この場所は、晴明神社の飛び地境内にもなっており、毎年旧暦9月26日には嵯峨墓所祭が執り行われます。


嵐山駅から徒歩圏内でアクセスしやすく、落ち着いた雰囲気の中に建つ墓碑は、まさに「陰陽師の眠る場所」としての風格たっぷりです。


h3
神社境内にも「墓」がある


次に有名なのが、京都市上京区の晴明神社の境内にある墓所。


晴明神社は一条天皇が創建を命じた神社で、晴明の旧宅跡に建てられています。この境内にも墓標のような石碑があり、神格化された「神としての晴明」が祀られています。


霊的なシンボルとしての意味が強く、観光客や信仰者が多く訪れるスポットになっています。


h3
なぜか長野にも!?木曽・清墓士


意外な場所として語られるのが、長野県木曽にある「清墓士(せいばかせ)」。


山中にあるこの墓所は、地元の人々の間で「清明様」として長年信仰されてきました。五芒星の刻まれた石碑があり、伝承上はここが晴明の終焉の地とされています。


ただし、京都から遠く離れたこの地に晴明が来た記録はなく、史実としての裏付けは不明。とはいえ、地域信仰の厚さから見ても、ある種の「もう一つの晴明伝説」として大切にされています。


h3
「晴明塚」は全国に点在

晴明にちなんだ「晴明塚」という名前の塚や祠は、京都以外にも複数確認されています。


これらは晴明の遺骨が埋葬されたというよりは、記念碑や信仰対象として建てられたもの。たとえば奈良や愛知などにもそうした塚が残されており、民間の信仰の広がりがうかがえます。


h3
結局どれが本物の墓なの?

実際のところ、安倍晴明の墓所がどこなのかを断定する史料はありません


ただし、


  • 嵯峨野の墓所は「遺体が葬られた場所」
  • 晴明神社境内は「神格化された祭祀空間」


という役割の違いで共存していると見るのが自然です。つまり、どちらも「本物」と言って差し支えないのかもしれませんね。


五行要約

 
  1. 安倍晴明の墓は複数あり、はっきりと確定していない!
  2. 京都・嵯峨嵐山の墓が最有力で、毎年祭も行われる!
  3. 晴明神社境内にも神格化された墓標が存在!
  4. 長野県木曽にも伝説の墓「清墓士」があり信仰対象に!
  5. 各地にある「晴明塚」は記念碑的な意味合いが強い!