
陰陽師っていうと、呪文を唱えて鬼を封じる…みたいなイメージがあるかもしれません。でも、実際の陰陽師の仕事って、もっと地味で、でもすっごく大事な「日常の安全を守る仕事」だったんです。
とくに奈良の春日大社や興福寺には、「寺住陰陽師」って呼ばれる、そこに常駐する陰陽師がいたんですよ。彼らは単なる占い師じゃなくて、暦や方位、境界の管理、災害の予防まで、寺や都全体を守るために、毎日のように儀式を行ってたんです。
このページでは、そんな寺住陰陽師たちがどんな儀式をしていたのか、春日社や興福寺との関係も含めて、わかりやすくかみ砕いて解説します!
まず「寺住陰陽師」っていうのは、その名の通り、寺院に住み込みで活動していた陰陽師のこと。奈良の春日社や興福寺みたいな超大規模な神社仏閣では、日々の儀式や祈祷のために、専属の陰陽師が必要だったんですね。
陰陽師といえば朝廷の役職ってイメージがあるけど、こういう「現場担当」の人たちは、寺社のスケジュール管理から呪術的な対応まで、かなり多方面にわたって活躍してました。
春日社や興福寺では、儀式のときだけじゃなく、年中行事の準備や判断にも陰陽師が関わってました。
たとえば、
つまり、祭りの「縁の下の力持ち」的存在。特に中世以降、安倍氏や賀茂氏の系譜がこの役職を継いで、長く続けていったんです。
寺住陰陽師が行う代表的な儀式の一つが、日次勘申(にちじかんしん)。これは、毎日の吉凶を判断して、その日の良い方角・時間を導き出すというもの。
特に春日社は神聖な「方位の中心」とされていたから、この儀式の正確さがすごく重要だったんです。
もうひとつの重要な仕事が、寺社の結界づくりです。
奈良盆地は地形に起伏があって、方位によっては「気」の流れが乱れやすい。そこで陰陽師たちは、地相を読み取って結界を張り、邪気の侵入を防ぐ防護空間を作ってました。
神社仏閣を霊的に守るバリアみたいな存在ですね。
陰陽師の役目は「守ること」。だから、疫病や災害が流行ったときは、すぐに除災・攘疫(じょさい・じょうえき)の儀式を行ってました。
たとえば平安時代には、大雨や疫病の発生時に、神仏と協力して、
なんてこともやってたそうです。これって陰陽道と仏教・神道がミックスされた「神仏混淆」の儀式だったんですよ。
直接的な記録は少ないけど、符呪(ふじゅ)や式神の使用もあったとされます。
たとえば、
こういう実務的な使い方がされていたと考えられています。とはいえ、これらは基本的に口伝だったので、現代にはあまり詳細が残ってないんですよね。
五行要約