
蘆屋道満といえば、「安倍晴明のライバル」として知られる伝説の陰陽師。でも実は、日本各地に彼の名前を冠した「ゆかりの地」が存在しているんです。伝承と史跡が入り混じった道満の“足跡”をたどってみると、物語の奥深さがグッと増してきますよ!
佐用町大木谷には、「道満塚」と「晴明塚」が並んで立っていて、まさに“術比べの聖地”として地元で語り継がれています。
道満塚は、宝篋印塔のかたちをした墓碑で、寛政9年(1797年)に再建されたもの。お隣の甲大木谷には、室町時代前期築の晴明塚があり、2人の因縁がいまも伝説として息づいています。
周辺には、「やりとび橋(矢を飛ばし合った場所)」や「おつけ場(道満の首を洗った所)」といったスポットもあって、地元の人々にとってはちょっとした“パワースポット”なんですね。
近年はコスプレイベントや七夕の催しも行われるなど、歴史×観光の注目エリアになっています。
加古川市西神吉町岸には、道満の屋敷跡とされる「正岸寺」があります。ここには道満井戸や道満碑が残っていて、「このあたりに住んでいた」という伝承が息づいてるんです。
さらに東神吉町には「こけ地蔵」という、道満の式神の火の玉がぶつかったとされる地蔵も。夜になるとお地蔵さまが倒れてる……なんて怪談も伝わっていて、なんとも不気味で魅力的なスポットなんですよ。
岡山県金光町にも、道満の墓と伝わる五輪塔がひっそり残されています。近くには「道満池」や「坊主岩」なんて場所もあって、彼が修行を積んだとか、隠れ住んでいたという伝承が息づいています。
この地では「道満が山にこもって術を極めた」とも言われていて、陰陽師というより仙人に近いイメージがあるかも?
東日本にも道満ゆかりの地が。栃木県那須塩原市の解脱塔は、その名の通り、道満の霊を慰めるために明治時代に建てられたものと伝えられています。
丘の上に四角形の塚があり、「解脱塔」と刻まれた石碑と3つの小さな五輪塔が並ぶこの場所には、「道満がここに逃れ、最期を迎えた」というローカル伝承が残っています。
那須塩原市の史跡としても登録されていて、道満がいかに全国に伝説を残しているかがよくわかります。
道満ゆかりの地は、実は全国に広がっています。
奈良・大和・近江・若狭・会津・武蔵など、全国各地に「道満塚」「道満屋敷」「道満井戸」といったスポットが点在。どれも古くからの伝承に基づいていて、地元では「昔からある不思議な場所」として語られているんです。
もしかすると、それだけ道満という存在が民間信仰や地域伝説に深く根ざしていたということかもしれませんね。
五行要約