
安倍晴明と聞くと、京都や大阪のイメージが強いかもしれませんが、実は岐阜県にも彼の足跡が残ってるってご存じですか?
大垣市を中心としたエリアには、晴明が現地で祈祷を行い、猛獣や毒蛇を鎮めたという伝承が語り継がれていて、地元では今でも祈りの石や晴明神社が大切にされています。
このページではそんな岐阜の「知られざる晴明伝承」にフォーカスして、わかりやすくかみ砕いて解説していきます。
岐阜県大垣市の上石津町には、ひっそりと佇む晴明神社があります。ここは寛政年間(18世紀末)に創建された比較的新しい社ですが、御祭神にはしっかりと安倍晴明とその祖・建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)が祀られているんです。
岐阜県の晴明神社の成り立ちを語る上で欠かせないのが
「安倍晴明の祈り石」!
と呼ばれるお話。
神社の近く、正光寺の境内には巨大な割れた石が安置されていて、これが「安倍晴明祈り石」と呼ばれています。
伝承によると、平安時代中期にこの地を訪れた晴明が、地元を悩ませていた猛獣や毒蛇を封じるため、石に向かって呪文を唱えたところ──
石が真っ二つに割れ、災いがピタリと止んだというんです。
まるで“呪術の力に大地が応答した”みたいな感じ。これを機に里人は晴明を深く敬い、のちに神社を建てて彼の功績を祀るようになったそうな。
岐阜県内では、大垣市だけじゃなく揖斐郡揖斐川町にも「晴明が巡礼の途中に滞在した」「晴明屋敷という場所があった」などの伝承が残っています。
それだけ、この地方全体に晴明が影響を与えたってことなんでしょう。彼がただの“京の陰陽師”じゃなく、諸国を巡りながら祈祷を行った祈りの旅人だったことがよくわかります。
実は岐阜だけでなく、愛知の名古屋市や岡崎市などにも晴明塚や晴明井、晴明神社が存在しているんです。
こうした伝承群は、「諸国巡礼型の陰陽師・安倍晴明」というイメージの広がりを物語っています。彼が各地で修行を行い、土地の災厄を祓いながら人々の信仰を得ていった──そんなリアルな像が浮かび上がってきますね。
いまでも大垣の晴明神社や祈り石には、ひっそりと訪れる人が絶えません。晴明の伝説は、単なる昔話ではなく、現代の「信仰」や「祈りのかたち」として生き続けているんです。
派手な観光地ではないけれど、その分だけ静かで濃密な神秘が漂う空間。安倍晴明という人物が持っていた“人のために力を使う”という姿勢が、土地にしっかりと根を下ろしているのが感じられます。
五行要約