
安倍晴明の鬼退治といえば、剣を振るって鬼を斬るような派手なアクションを思い浮かべる人もいるかもしれません。でも実は、晴明の戦いはもっと静かで、そして深いものでした。
目に見えぬものを見抜き、見えぬ力を封じる――それが陰陽師としての晴明の“鬼退治”だったんです。
このページでは、百鬼夜行から酒呑童子の伝説、橋姫の呪い、宮廷での追儺(ついな)儀式に至るまで、安倍晴明がどのように「鬼」と向き合い、「退治」してきたのかをひとつずつ紐解いていきます。
晴明の鬼退治伝説は、すでに幼少期から始まっています。『今昔物語集』によると、晴明がまだ子どもだった頃、師である賀茂忠行と一緒に夜道を牛車で移動していたとき、突如百鬼夜行に遭遇したそうです。
ふつうの人には見えないはずのその異形の行列を、晴明ははっきりと視認。忠行はその能力に驚きながらも、すぐさま術を施して牛車を隠し、事なきを得たといいます。
ここで注目したいのは、晴明が鬼を見る力を持っていたこと。そしてそれが師匠の術と連携して生き延びることにつながった点です。このときすでに、晴明は「鬼との戦いの第一歩」を踏み出していたんですね。
京都を震撼させた鬼の王・酒呑童子。彼が美女をさらい、大江山を根城に暴れまわっていた頃、鬼退治に乗り出したのが源頼光とその四天王でした。
でも実は、その討伐の鍵となる情報を提供したのが晴明だとされています。鬼の居場所、策略、そして封じるための方法。こうした占術的サポートを行い、頼光たちの行動を裏で支えていたのです。
まさに晴明は、直接鬼と戦う武士ではなかったけれど、その作戦を成功に導くための参謀役として、討伐の勝利に大きく貢献していたわけですね。
『鉄輪』で知られる橋姫の話も、晴明の鬼退治譚としては外せません。
激しい嫉妬と呪詛によって自らを鬼と化した女性・橋姫。その強烈な怨念は夜ごと人を呪い殺し、都を騒がせていました。晴明はこの呪いを見抜き、形代(かたしろ)という人形を用いて、呪詛の力を逆流させ、橋姫を封じ込めたと伝えられています。
ここでは剣も力も使わず、ただ知識と術によって怨念を浄化しているのが印象的です。鬼は外見ではなく、内なる怒りや悲しみからも生まれる――そんなことを教えてくれる逸話でもあります。
渡辺綱が一条戻橋で鬼の腕を切り落とした話はあまりに有名ですが、その切り落とされた腕をどうするかが問題でした。
腕とはいえ、それはまだ呪力を帯びた危険な存在。そこで頼られたのが晴明です。彼は腕の持つ呪を占い、厄災を断ち切る封印の儀式を行って処理したとされます。
ここでも晴明の役割は、戦いの“あと始末”ではあるけれど、見えない災厄を断ち切る術者としての最終防衛線だったんですね。
晴明は宮廷に仕える陰陽師として、毎年の追儺(ついな)という行事にも関わっていました。これは旧暦の節分に行われる公式な鬼払いの儀式で、疫病や災厄の象徴としての“鬼”を払い、宮中の清浄を守るためのものです。
特に1001年の記録には、晴明がこの追儺を執行したことが明記されており、これは彼が国家レベルでの鬼払い役だったことを裏付けています。
彼の鬼退治は、個人の戦いを超えて社会全体を守るための宗教儀礼だったわけですね。
五行要約