安倍晴明と源博雅の関係|晴明の友達だったのは史実?

平安の雅楽家・源博雅と、陰陽師の安倍晴明──現代では夢枕獏『陰陽師』およびその映画作品の影響で「名コンビ」として知られるふたりですが、ほんとうに「親友」だったのでしょうか? 

 

・・・結論を先にいっちゃえば、じつは2人の間には友情どころか、何らかの交流があった証拠すら皆無。

 

だけど、それで終わっちゃつまらないということで、このページでは、史実とフィクションの両面からじっくり掘り下げ、「安倍晴明と源博雅の関係」について探っていきたいと思います。

 

 

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史実に残る関係性はある?

まずは事実確認から。安倍晴明(921〜1005年)と源博雅(918〜980年)は、実際に同時代に生きていた人物です。どちらも宮中で活躍した記録があります。

 

ただし、最初に言ったように公的文書や史料に「交流があった」と示す記述は一切ないんです。ふたりとも貴族社会で有名人だったにもかかわらず、接点を記録した一次資料は見つかっていません。

 

つまり──

 

史実としては「親友だった」と言い切れる根拠はナシ!

 

なんです。

 

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源博雅ってどんな人?

源博雅は、醍醐天皇※の孫として生まれ、のちに源姓を賜った高貴な出自の人物。しかも彼は音楽の天才で、十三種類の楽器を操ると言われたほどの雅楽家でした。

 

中でも有名なのが、笛の譜面集『博雅笛譜』。これは、いまの雅楽にも受け継がれる重要な楽曲「長慶子(ちょうけいし)」を含む、平安音楽の宝物です。

 

妖怪譚でも名が登場し、「朱雀門の鬼から笛を取り返した」とか「羅城門の玄象を手にした」といった伝説も残っている、なかなかロマンあふれる人物なんです。

 

※醍醐天皇(だいごてんのう)
平安時代中期の第60代天皇(在位897〜930年)。延喜の治と呼ばれる善政を行い、律令政治の再建に尽力。『延喜式』の編纂を命じるなど文化行政にも力を注ぎ、古代国家体制の完成期を築いた名君とされる。

 

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創作に見る“名コンビ”ぶり

晴明と博雅の“友情”が広く知られるようになったきっかけは、夢枕獏の小説『陰陽師』シリーズ※。ここでは、ふたりは「呪術の名手+雅楽の教養人」というバディコンビとして活躍します。

 

映画版やアニメ、漫画などでもこの関係性が踏襲されていて、「事件解決に挑む相棒」「人間味あふれるコンビ」として、世代を超えてファンに親しまれるようになりました。

 

たとえば博雅が笛を吹いて式神を呼び出すとか、酒を酌み交わして世を嘆く場面など、リアルではなかったとしても「こんな友情、いいなぁ」と思える描写がたくさんあります。

 

※夢枕獏『陰陽師』シリーズ
作家・夢枕獏による平安時代の陰陽師・安倍晴明を主人公とした小説シリーズ。1986年より刊行され、妖怪や鬼、怨霊との対決を通して平安の闇と人の情を描く。緻密な歴史描写と幻想的世界観で人気を博し、漫画・映画・舞台化もされた。

 

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なぜこのコンビが人気なのか

創作の世界では、キャラクターに“対照的な魅力”を持たせることで、よりドラマが深まります。晴明は冷静でミステリアス、一方の博雅は感情豊かで人間味たっぷり。このコントラストが物語に厚みを加え、どちらかだけでは成立しない「陰陽師の世界観」が形づくられていったんですね。

 

そして何よりこの関係性は陰陽道の根幹にある二元性を象徴しているといえ、まるで陰(イン)と陽(ヨウ)のように、互いがあってこそバランスが保たれるのです。

 

晴明の知性と理性が闇を見抜き、博雅の情と勇気が人々の心に寄り添う──この二人が交わることで、怪異を超えた“ドラマ”が浮かび上がってくるわけです。

 

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事実と物語の“間”を楽しもう

史実では関係の証拠がないふたり。でも、だからこそ創作の自由度が増し、フィクションだからこそ描ける“理想の関係”が生まれました。

 

事実かどうかだけで判断するのではなく、伝説や物語に込められた価値や美しさも、大切にしたいところです。

 

五行要約

 
  1. 晴明と博雅は同時代に宮中で活躍したが、史料に接点の記録はない!
  2. 博雅は皇族出身の音楽の名手で、雅楽界の重鎮だった!
  3. 夢枕獏『陰陽師』で“名コンビ”として大人気に!
  4. 晴明のクールさと博雅の情熱が対照的で物語に深みを与えた!
  5. 事実ではなくとも、創作の友情として魅力あふれる関係だった!