
陰陽師(おんみょうじ)といえば、かつては国家に仕える神秘の官職。でも今や、アニメやゲーム、小説の中で“カッコいい”存在としてよく見かけますよね。では、どうして陰陽師は一度消えて、またここまで人気を取り戻したのでしょう?
このページでは、明治以降に制度から姿を消した陰陽師が、カルチャーアイコンとして再びよみがえっていく歴史を、じっくりたどっていきます!
1870年(明治3年)、政府は「陰陽寮」廃止と布教・儀礼の全面禁止を発表。長年続いた陰陽道の制度は、あっけなく「迷信」として処理されました。
さらに暦・天文・地相などの技術も、大学・天文台・文部省などの科学機関に移管。これにより、陰陽師は公的職業として完全に消滅してしまいました。
とはいえ、宮司や祈祷師のかたちで、地方文化や信仰にはまだ細く受け継がれていたんです。
20世紀後半以降、研究者たちは陰陽道を単なる中国輸入ではなく、「日本的に展開された思想」として再評価しはじめました。
山下克明※などの研究者は、「晴明神話の成立背景」や、「大衆文化とのギャップ」などにも注目。研究はただの歴史探求にとどまらず、カルチャー論とも結びついてきたんです。
※山下克明(やました かつあき、1952年〜)
千葉県出身の日本史学者。青山学院大学で学び、1997年に『平安時代の宗教文化と陰陽道』で博士号取得。平安期の陰陽道研究を専門とし、『陰陽道の発見』『平安時代陰陽道史研究』『平安貴族社会と具注暦』『陰陽道 術数と信仰の文化』など、多くの著作を通して、安倍晴明らを中心とした古代日本における呪術・天文・宗教文化の実像を明らかにした。
きっかけは、小説『帝都物語』(荒俣宏)などの大ヒット!安倍晴明がキャラクター化され、神秘的な世界観と共に現代人の心をつかみました。
その後も、夢枕獏『陰陽師』シリーズや、スマホアプリ『Onmyoji』、アニメ、映画などで次々と陰陽師ブームが巻き起こります。
観光地の晴明神社にはファンが殺到し、絵馬やグッズも充実。まさにポップカルチャーと観光資源の融合が進んだんです。
地方の祭り・年中行事・方位除け、さらにはおみくじや式神信仰といった民間の風習に、陰陽師的な儀式や発想が残されています。
また、現代の占い業界でも、「陰陽師風ネーミング」や九星・四柱推命など、陰陽五行を取り入れたメニューが人気。
科学とスピリチュアルのあいだで、陰陽師は今なお求められているんですね。
最近では、陰陽師という言葉がニューエイジ的な文脈でも語られるようになってきました。
研究者や宗教的活動家の中には、失われた知識を「奥義」や「伝統文化」として再構築しようとする動きもあります。
こうして現代では、陰陽師は呪術の専門家・歴史的職業・キャラコンテンツなど、複数の顔を持つマルチアイコンになっているんです。
五行要約