
安倍晴明って、ただの「陰陽師」ってだけじゃなくて、ちゃんとした国家公務員で、めちゃくちゃたくさんの儀式をこなしてたんですよ。鬼を追い払うだけじゃない、天皇のお引越しの安全確認から、天狗封印、雨乞いまで…そのバリエーション、まさに陰陽道のオールラウンダー!
このページでは、そんな安倍晴明が関わった「儀式歴」を、具体的な時期とともに時系列でじっくり見ていきます。
記録に初めて登場したのは、西暦960年ごろ。彼は「天文得業生」として天文や暦を読み解く才能を認められました。これが安倍晴明の公的キャリアのスタート地点!
その後は、占いだけじゃなく、国家レベルの儀式にガッツリ関わるようになっていきます。
1000年、後一条天皇が新しい内裏にお引越しするとき、晴明は「反閇(はんべい)」という特殊な呪術儀式を担当します。
これは大地の穢れや災いを払うためのステップと呪文を組み合わせた厄払いで、まるでダンスのように儀式の場で足を踏み鳴らして地相を整えるんです。晴明がそれを任されるって、もはや「陰陽師のトップ職人」って感じですね。
979年には、那智山にて天狗封印を命じられました。これは皇太子(のちの花山天皇)による直命。霊的災厄の象徴である天狗を術と式神を使って封じたとされます。
さらに、丑の刻参りで有名な橋姫の呪いを断ち切った話や、鬼の腕を式神で封印したという伝承も!こういう術は「封印系儀式」とされ、陰陽道の真骨頂なんですよ。
安倍晴明は、星を読むだけじゃなく、自然現象に働きかける儀式もこなしてました。
たとえば祈雨の儀。干ばつのときに雨乞いをして見事に雨を降らせたとされ、宮中の信頼をがっちりつかみました。さらに、日食の予測を当てたという話も!これはもう、ほぼ気象予報士であり呪術師ですね。
また、天皇や貴族の病気平癒のための禊祓いも執り行っていて、「神に祈ることで病を祓う」っていう古代ならではの祈祷です。
安倍晴明が死んだあとの話ですが、彼の神格化は続き、今では京都の晴明神社で「晴明祭」という例祭が毎年行われています。
灯籠行列や神輿渡御、さらには献茶・献花など、荘厳な雰囲気の中に晴明の霊力が今なお生きているような空気を感じさせます。
五行要約