陰陽師の盛衰|全盛期は何時代?衰退はいつから?

陰陽師の盛衰

陰陽師が律令制の官職として確立されたのは、暦・天文・方位という国家機能に組み込まれた時代だ。平安期には貴族社会で大きな影響力をもつようになったが、鎌倉以降に武家政権の台頭とともにその制度的な地位が低下した。明治の制度改革で官職体系が改廃され、陰陽師は伝統的な役割を喪失して民間信仰あるいは伝説上の存在として変容したといえる。

何時代の栄光か──歴史の波に翻弄された「陰陽師の全盛期と衰退期」を知る

陰陽師(おんみょうじ)って聞くと、「いつがピークだったの?」って気になる人も多いはず。平安時代に華やかに活躍したイメージが強いですが、実はその後の流れを追ってみると、日本の政治や社会の変化とがっつりリンクしてるんです。


つまるところ陰陽師は「国家のブレーン」から「民間の祈祷師」、そして「歴史の記憶」へと移り変わった存在なんですね。このページではそんな盛り上がりと衰退のタイミングを、時代ごとにわかりやすく整理していきます。



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最盛期は平安中期!安倍晴明の時代

陰陽師の全盛期といえば、やっぱり平安時代中期(10~11世紀)


この時期、国家機関の陰陽寮が本格的に制度として整い、暦・天文・占術・方位などが国政の中枢に取り入れられていきます。


その象徴が安倍晴明(あべのせいめい)。彼は「大陰陽師」と称され、天皇や貴族からの信頼も厚く、まさに「陰陽道の顔」でした。


賀茂氏と安倍氏の二大家系が陰陽寮を運営し、陰陽道は貴族文化と一体化。式神・呪符・厄除けなど、神秘的な要素も加わって、貴族たちの不安や願望に応えるスーパースターたちだったんです。


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鎌倉時代はゆるやかに権威が失われる

ところが、鎌倉時代(12~14世紀)に入ると、ちょっとずつ雲行きが怪しくなってきます。


武士政権が成立して、朝廷の力が相対的に弱まると、陰陽寮の影響力も一緒に下がっちゃうんです。


でも消えたわけじゃなくて、陰陽師たちは宮廷から民間へとシフト。地方に出て、真言宗修験道と結びついたりしながら、地域に根ざした祈祷師・占者として活動するようになります。


言い換えれば、「貴族のお抱え専門職」から「民間のスピリチュアルアドバイザー」へと変化したって感じですね。


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戦国時代~江戸中期は衰退の波が押し寄せる

戦国時代(15~16世紀)になると、世の中はもう戦・戦・戦!武力と戦略が物を言う時代です。


当然、占いや暦よりも、実際の兵力や土地の支配が大事にされて、陰陽師の出番は激減。都市部から姿を消していく人たちも出てきます。


ただ、完全に消えたわけじゃなく、福井の土御門家みたいな由緒ある家は命脈を保ち、江戸初期には再評価されることも。


それでも、公的な存在としてはもう戻ることはなく、地方の祈祷師名ばかりの陰陽師が残っていくことになります。


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明治維新で制度ごと完全消滅

明治時代(1870年)に入ると、ついに陰陽寮は廃止。政府が掲げた近代化と西洋化の流れの中で、「陰陽道」は迷信=淫祠邪教とされ、公式には姿を消します。


同時に太陽暦の採用で暦術の役割も終了し、陰陽師は制度として完全に消滅するんです。


でも……文化って面白いもので、「消えたようで、どこかに残ってる」んですよね。


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現代で文化・エンタメとして復活

現在では、陰陽師は伝統文化や物語の中のヒーローとして再注目!


戦後~現代にかけては、学術研究・民俗学の対象として見直され、最近では『陰陽師0』や『光る君へ』などの作品で再ブームが到来。


ゲームやマンガ、神社ツアーなどでも登場して、「カッコいい伝統文化」として若い世代にも広まっています。


五行要約

 
  1. 平安中期に陰陽師は国家の中枢として最盛期を迎える!
  2. 鎌倉時代に朝廷権力とともに影響力が徐々に縮小!
  3. 戦国~江戸中期には公的役割が失われ、地方に細々と残存!
  4. 明治時代に制度としての陰陽師が廃止・完全に消滅!
  5. 現代では文化・歴史コンテンツとして復興しつつある!