暦博士とは|暦の作成と暦生教育を担う律令官職

暦博士とは

暦博士とは、律令制下の国家機関 陰陽寮 に属し、暦(こよみ)の作成・編纂を専門に担った官職である。天文観測や易学を基盤とした「暦道」の技術を教授し、暦生(れきしょう)らを指導した。ゆえに、暦博士は暦とは何かを支える教育的かつ技術的役割を果たしていたといえる。

暦の作成と暦生教育を担う律令官職──時を司る学問の要「暦博士」とは

暦博士(れきはかせ)──それは、ただカレンダーを作る人じゃないんです!


この役職は、国家の季節・儀式・吉凶判断をすべて支える、時間管理のプロフェッショナルでした。


このページでは、暦博士の役割、教育活動、歴史的背景をまるっとご紹介します!



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暦博士は国家公認の「カレンダー博士」

暦博士は、陰陽寮における暦道部門の技官・教育官で、主な仕事は暦の作成と学生の教育でした。


所属は中務省配下の陰陽寮。官位は従七位上で、のちには権暦博士という補佐役が置かれるほどの専門職。和訓では「こよみのはかせ」とも呼ばれました。


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何をしていたの?主な業務はこれ!

暦博士の仕事は、ざっくり3つの柱に分けられます。


  • 暦の編纂・改暦:太陰太陽暦の構築、月相・閏月・日食・節気の調整、具注暦(ぐちゅうれき)の作成
  • 御暦の奏:毎年11月1日、翌年の公式暦を天皇に奏上
  • 暦生の教育:学生10名+得業生2名前後に、暦学・暦算・天象観測を教授


まさに国家の時間を支配する専門官だったんですね。


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暦博士の歴史と世襲体制

この職は古くは百済から博士を呼び寄せたという伝承があり、律令制の確立とともに制度化されました。


平安中期以降は賀茂氏が独占的に暦博士職を世襲。後に断絶したものの、幸徳井家が江戸後期に再興し、明治まで存続しました。


そして明治3年(1870年)、陰陽寮とともに暦博士も制度廃止。その後は太陽暦(グレゴリオ暦)へと移行していきます。


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暦博士の社会的インパクト

暦博士が作成した具注暦は、天皇や貴族の儀式スケジュールから、庶民の年中行事まで、すべての行動計画の土台となっていました。


また、教育によって暦学の知識が継承されたことも、社会秩序の安定に大きく貢献。まさに時間を作り、教えるという二重の意味で欠かせない職だったのです。


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暦博士の要点まとめ表

項目 詳細
職名 暦博士(和訓:こよみのはかせ)
官位 従七位上(のちに五位以上任官が慣例)
主な業務 暦の作成・改暦、日食予測、天皇への暦奏上
教育対象 暦生10名・得業生2名前後
世襲家系 賀茂氏 → 幸徳井家(江戸後期~幕末)
制度廃止 明治3年(1870年)、太陽暦導入と共に消滅


五行要約

 
  1. 暦博士は陰陽寮で暦を作り、学生を教える専門官だった!
  2. 具注暦や改暦、日食予測などを担当していた!
  3. 学生(暦生)を教育し、暦道を継承する役目を持っていた!
  4. 賀茂氏や幸徳井家が世襲的に職を担っていた!
  5. 明治維新と太陽暦導入で制度は廃止された!