陰陽寮という名前、陰陽道に興味ある人なら一度は聞いたことがあると思います。でも実際のところ、いつまで存在していたのか、そして今どうなってるのかって、意外と知られていないんですよね。
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暦博士(れきはかせ)――それは、ただカレンダーを作る人じゃないんです!
この役職は、国家の季節・儀式・吉凶判断をすべて支える、時間管理のプロフェッショナルでした。
このページでは、暦博士の役割、教育活動、歴史的背景をまるっとご紹介します!
暦博士は、陰陽寮における暦道部門の技官・教育官で、主な仕事は暦の作成と学生の教育でした。
所属は中務省配下の陰陽寮。官位は従七位上で、のちには権暦博士という補佐役が置かれるほどの専門職。和訓では「こよみのはかせ」とも呼ばれました。
暦博士の仕事は、ざっくり3つの柱に分けられます。
まさに国家の時間を支配する専門官だったんですね。
この職は古くは百済から博士を呼び寄せたという伝承があり、律令制の確立とともに制度化されました。
平安中期以降は賀茂氏が独占的に暦博士職を世襲。後に断絶したものの、幸徳井家が江戸後期に再興し、明治まで存続しました。
そして明治3年(1870年)、陰陽寮とともに暦博士も制度廃止。その後は太陽暦(グレゴリオ暦)へと移行していきます。
暦博士が作成した具注暦は、天皇や貴族の儀式スケジュールから、庶民の年中行事まで、すべての行動計画の土台となっていました。
また、教育によって暦学の知識が継承されたことも、社会秩序の安定に大きく貢献。まさに時間を作り、教えるという二重の意味で欠かせない職だったのです。
項目 | 詳細 |
---|---|
職名 | 暦博士(和訓:こよみのはかせ) |
官位 | 従七位上(のちに五位以上任官が慣例) |
主な業務 | 暦の作成・改暦、日食予測、天皇への暦奏上 |
教育対象 | 暦生10名・得業生2名前後 |
世襲家系 | 賀茂氏 → 幸徳井家(江戸後期〜幕末) |
制度廃止 | 明治3年(1870年)、太陽暦導入と共に消滅 |
五行要約