
妖怪というと、ちょっと怖いけどどこか愛嬌もある存在。でも、平安時代の日本ではそんなのんきなもんじゃなくて、本気で恐れられていた超常の脅威だったんです。
そして、その妖怪に立ち向かう存在が陰陽師たち。彼らはただの占い師じゃなく、呪術や式神を駆使して妖怪と対峙するスペシャリストだったんですよ。
このページでは、陰陽道における妖怪の歴史を、呪術・信仰・文化の視点からわかりやすくかみ砕いて解説します。
平安時代の陰陽道では、天変地異や疫病、さらには個人の不運や奇病まで、妖怪や怨霊のしわざとされていました。
これに対応するため、陰陽師たちは式神や呪符を使い、祓いや封印の儀式を行っていたんです。妖怪という存在は、今でいうウイルスや災害のように、社会的にも実害のある“実在する存在”として考えられていました。
陰陽道の妖怪退治といえば、やっぱり安倍晴明。彼は賀茂忠行の弟子として幼い頃から「鬼を見る能力」を持っていたと伝えられ、数々の逸話に登場します。
彼の切り札が式神(しきがみ)。これは、
まさに、妖怪と戦うための霊的な兵隊だったんです。
陰陽師はただ祓うだけじゃなく、妖怪と会話・交渉を行う霊媒的な能力も持っていたとされます。
これが面白いのは、妖怪が単なる悪者じゃないという点。話が通じる相手であれば、式神として取り込むこともあったんです。
こうした柔軟な妖怪観は、陰陽道が持つアニミズム的世界観──つまり「すべてのものに霊が宿る」という考え方と結びついていたんですね。
12世紀末ごろには、妖怪たちが集団で町を練り歩くという伝承が『百鬼夜行絵巻』に描かれます。これは陰陽道の思想が、庶民のあいだで視覚的・物語的に広がっていった証拠なんです。
江戸時代になると、妖怪絵巻や読本が流行。妖怪たちはキャラクターとして確立され、
つまり、陰陽道のリアルな世界観がエンタメとして再構築された時代だったんです。
現在では、安倍晴明を主人公にしたアニメや漫画が人気で、「陰陽師vs妖怪」の構図は日本のファンタジーの定番に。
でもそれって、ただの空想じゃないんです。式神召喚、呪符、霊視…すべて、平安〜江戸期の陰陽道に実在した発想なんですよ。
現代における妖怪の姿には、陰陽道の精神的な遺産がしっかりと生きているんです。
五行要約