
安倍晴明といえば、陰陽師の代名詞のような存在。その術や占いの根底にあるのが、陰陽五行と四神(しじん)の思想です。では、四神とは一体なにか?そして晴明とどう関わっていたのか?──これを知ると、彼の術が「ただの呪文」じゃなく、壮大な自然哲学の上に成り立っていたことがわかってくるんです。
四神とは、東西南北を守る神獣たちのこと。中国古代の思想「陰陽五行」に基づき、それぞれ方位・季節・五行の属性を担っています。
この四神は単なる神話上の存在ではなく、都の設計や風水、さらには呪術にも応用された、超実用的な霊獣だったんです。
安倍晴明は、この四神の概念を結界・護法・占術に取り入れていました。とくに四神相応(しじんそうおう)の地という考え方に強く影響を受けていたとされます。
たとえば、平安京の建設では「東に川、南に湖、西に道、北に山」があるのが理想=これが四神の加護が得られる風水的に完璧な立地だったわけです。そしてその思想は、陰陽師である晴明の術法にもバッチリ影響を与えました。
晴明が使っていた十二天将(十二神将)のなかには、青龍・朱雀・白虎・玄武の名を持つ式神も含まれていました。
もちろん「神獣そのもの」ではなく、霊的な力を借りた形の式神なんですが、それでもこの四体は特別な守護式神として活用されたと伝わっています。
方位を守り、災いを防ぎ、運気を整える──まさに万物のバランスをとるための実働部隊だったわけです。
この四神との結びつきは、現代の晴明神社にも色濃く残っています。たとえば、京都にある本社には四神門と呼ばれる構造があり、それぞれの神獣の御朱印やストラップなども売られてるんですよ。
つまり、晴明は「霊的なバリアを張る術者」であると同時に、「自然の流れや方向性を見極める風水の達人」でもあったんです。
結局のところ、四神って晴明にとっての霊的コンパスだったんですよね。どこに結界を張ればいいか、どの方角が吉なのか、災いはどの方向から来るのか──そういった判断を下すうえで、四神の知識は不可欠でした。
しかも、式神としても召喚できるってんだから、まさに座標とパワーを兼ね備えた物凄い存在だったわけです。
五行要約