
平安時代のファンタジーって聞いて何を思い浮かべますか?妖怪、呪術、陰陽師……そう、まさにその「陰陽師」として日本でいちばん有名な人物が安倍晴明(あべのせいめい)です!
でもあまりに神格化された描き方が多すぎるせいで、
という疑念も常に付きまとう人物です。
しかし安倍晴明って人は、実在した国家公務員で、しかも当時の日本で最先端の「科学」を扱っていた人物なのは確か。
そこでこのページでは安倍晴明の等身大の姿と、神格化されていった背景についてまとめていきますね。
安倍晴明は、平安時代中期の人物で、ちゃんと歴史に名前が残っている実在の陰陽師。今でいう「省庁」にあたる陰陽寮に所属して、占いや天文観測、暦の作成といった超重要な任務に携わっていたんです。
そして彼の階級もすごくて、位は従四位下(じゅしいのげ)!これは貴族の中でもわりと上のほうのクラス。まさにエリート官僚だったわけですね。
実際の晴明の仕事は、漫画とかでよく描かれる「妖怪退治」じゃなくて、国家運営の基盤ともいえる「時」と「空間」を管理することでした。
ようするに、彼の仕事って当時の「科学者」兼「戦略参謀」で、かなり実務的だったんですよ。
やっぱり晴明といえば式神ってイメージ強いですよね?
たしかに『今昔物語』や『宇治拾遺物語』では、彼が鬼や妖怪を倒した話がたくさんあります。屋敷の外に式神を待機させてたとか、動物を操ったとか…。
でもこれ、実は後世のフィクションの要素が強いです。
彼が本当にそれくらい不思議な雰囲気を持っていたから、そういう伝説ができたとも言えるかもしれませんが、平安時代の記録に残る彼の仕事は、上述したような天文観測や吉凶判断といった実務的な陰陽道が中心だったようです。
晴明のライバルとしてよく出てくるのが蘆屋道満(あしやどうまん)。この人も陰陽師で、たびたび晴明と呪術勝負をしたっていう伝説があります。
なかでも特に知られているのが、道満が仕掛けた式神の術を、晴明があっさり見破って無効化したという一件。これによって道満は面目を失ったとされます。
ただし、この対決も多くは後世の軍記物や講談による脚色が加えられていて、史実としての裏付けは乏しいのが実情。それでも、こうしたエピソードが人気を集めるのは、晴明と道満が「光と影」のように語られる構図が物語として魅力的だからでしょう。
安倍晴明は1005年に84歳で亡くなったんですが、当時としてはかなりの長寿。それもあって「やっぱりただ者じゃない!」と語り継がれたんです。
京都にある晴明神社は、彼の死後すぐに建てられたもので、今でも多くの人が訪れています。
そして、彼の象徴マークである五芒星(晴明紋)は、陰陽道の力を示すものとして、アニメやゲームなどでもよく見かけますよね。
五行要約