安倍晴明の生い立ち|誕生日は?誰に仕えた?晩年の動向は?

安倍晴明――霊感と知性を兼ね備え、平安の闇と対峙した“陰陽界のレジェンド”ともいえる人物。その生涯は、まさに“静かなるヒーロー”のようなものでした。

 

このページでは、安倍晴明の誕生から晩年までの歩みを、「誰に仕え、どんな立場で生きたのか」を中心にわかりやすく紹介していきます。

 

 

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誕生日と生まれた場所

安倍晴明が生まれたのは延喜21年1月11日(西暦921年2月21日)。時の天皇は醍醐天皇、まだ平将門の乱すら起きていない頃です。

 

出身地については諸説あり、大阪の阿倍野説が有力ですが、茨城県猫島説香川県讃岐説なども存在。母親については記録がなく、「葛の葉」という白狐が化けた女性だったという伝承が今に伝わっています。

 

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学びの時代と運命の師匠たち

10歳〜20歳頃、晴明は賀茂忠行・賀茂保憲父子に師事します。この二人は当時の天文・陰陽の大家で、陰陽道の名門「賀茂家」にあたります。

 

ここで晴明は天文観測・占術・祓い・呪術といった、実務的かつ神秘的な知識を徹底的に叩き込まれました。まさにエリート陰陽師養成の道を歩み始めたわけです。

 

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宮廷への登用と仕えた主君たち

晴明が公の記録に初めて登場するのは960年(天徳4年)。40歳というやや遅めのスタートで、天文得業生として宮廷に登用されます。

 

その後仕えたのは、村上天皇・花山天皇・一条天皇といった歴代天皇。そして藤原兼家・藤原道長といった摂関家の有力者たち。とくに道長からは個人的な信任も厚く、宮廷儀礼や呪詛対処、病気祈祷などで重宝されました。

 

つまり晴明は「占い師」ではなく、「国家レベルの危機管理官」だったとも言えるんですね。

 

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晩年の動向と驚異の現役ぶり

晴明は60歳を超えてもなお、バリバリの現役でした。

 

80歳を過ぎて従四位下という高位に昇進し、82歳で大膳大夫・左京権大夫など複数の役職を兼任。そして84歳のときには、祈雨の儀式や宮中儀礼にも関わった記録が残っています。

 

これまさに陰陽界の“終身名誉師範”という感じ。

 

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死後も語り継がれた伝説の陰陽師

1005年10月31日、安倍晴明は亡くなります。享年84歳(または85歳)。記録には死因が明記されていないため、自然死だったとされていますが、一説には「死後も力が残る」としてその墓所や遺骸の所在すら隠されたとも。

 

そして1007年、一条天皇の命で晴明の旧邸跡に晴明神社が創建され、神として祀られることに――。

 

五行要約

 
  1. 安倍晴明は921年2月21日生まれ、出身地は大阪・阿倍野説が有力!
  2. 賀茂忠行・保憲に学び、40歳で宮廷入りして天文得業生に!
  3. 村上・花山・一条天皇や藤原道長らの信任を得て活躍!
  4. 晩年も80歳を超えて現役、従四位下に昇進!
  5. 1005年に没し、2年後には晴明神社が創建されて神格化された!