
安倍晴明といえば、平安時代を代表する陰陽師。でも意外と知られていないのが、「そもそも晴明ってどこの出身?」というお話。
実は、晴明の出身地には複数の説があるんです。このページではその中でも有力とされている候補地を中心に、わかりやすく紹介します!
晴明の出身地としてもっとも有名なのが摂津国阿倍野(現・大阪市阿倍野区)。
この地は父・安倍保名(やすな)の居住地とされ、母・葛の葉(白狐)が現れた「信太の森」も近くにあります。伝説の中では、このふたりの間に生まれたのが童子丸=晴明なんです。
現在、阿倍野には安倍晴明神社が建っており、地元では晴明の生誕地として厚く信仰されています。
もう一つの有力候補が茨城県筑西市・猫島。ちょっと意外ですが、ここには晴明が生まれたという伝承があり、江戸時代の陰陽道書『ホキ抄(ほきしょう)』にも「猫島生まれ」との記述が見られます。
地元では晴明橋公園なども整備されており、今も「晴明の生誕地」として地域の人たちに大切にされているんです。
香川県高松市には、晴明がかつて冠纓(かんえい)神社で神主を務めていたという伝承が残っています。
この伝承に基づき、香川県が出生地だったとする説も。ただ、文献による裏付けはやや乏しく、どちらかというと信仰拠点の一つとしての扱いが強い印象です。
『??袖裡伝』という陰陽道の書物には、晴明が近江国坂本(現・滋賀県大津市)で生まれたとする記述もあります。
ただし、こちらはほぼ単一文献による言及のみで、他に裏付けとなる伝承や史跡はあまり見られません。
理由は簡単。安倍晴明は平安時代の人物であり、正確な戸籍情報や出生記録が残っていないためです。
さらに、晴明が死後神格化され、陰陽師として全国的に知られる存在になったことで、
「ウチこそ晴明のゆかりの地!」
……と各地で伝承が生まれたことも影響しています。
五行要約