
陰陽師・安倍晴明といえば、その活躍だけでなく「どんな名門の出なんだろう?」って気になったこと、ありませんか?
実は彼が属していた安倍氏って、古代日本の中でも特にルーツが深い一族のひとつ。なかでも晴明は、天皇家に連なる皇別系の安倍氏に属していたとされているんです!
このページでは、そんな安倍晴明の先祖たちがどういう人たちだったのかを、時代ごとの流れに沿ってわかりやすくかみ砕いて解説します。
安倍氏のルーツをたどると、なんと神話時代の天皇までさかのぼるんです!
その祖とされるのは孝元天皇の皇子・大彦命(おおひこのみこと)。この人物は『日本書紀』にも登場する古代の王族で、東国への派遣などを担ったという伝承があります。
この大彦命を祖とする氏族は「皇別(こうべつ)」と呼ばれ、「天皇の血を引くが皇位には就かない貴族階級」として古代律令国家で大きな力を持っていたんです。
つまり晴明の一族は「天皇家ゆかり」の血筋ってこと。なんだかすでに只者じゃない感じがしますよね。
この阿倍氏(あべし)は、飛鳥〜奈良時代にかけて中央政界で活躍します。
たとえば…
彼らが活躍したことで、「阿倍臣(あべのおみ)」→「安倍朝臣(あべのあそみ)」と呼び名が進化し、やがて安倍氏として平安時代にも名前を残すようになります。
そして時は流れて平安時代。
晴明の父安倍益材は、中級貴族で陰陽寮に所属。記録によれば、安倍氏のなかでも右大臣・阿倍御主人(あべのみうし)の系譜を引く一門だったとされます。
この家系は政治よりも陰陽道・天文・占術に強く、宮廷の中でも専門職として特化していく形に。その流れの中で生まれたのが、安倍晴明というわけなんです。
つまり、晴明は格式ある安倍氏の専門職ルートをしっかり引き継いだ人物だったんですね。
ちょっとややこしいんですが、「安倍氏」と呼ばれる氏族はもう一つあるんです。それが奥州(東北地方)の安倍氏。
この系統には、安倍頼時・安倍貞任といった武士たちが名を連ね、源義家と戦った「前九年の役」で知られています。
でもこちらは地方豪族としての安倍氏であり、晴明の属した中央皇族系の安倍氏とは別系統。
たとえ名前が同じでも、血筋も立場もまったく別物だったというわけです。
このように、「安倍」という姓には大きく分けてふたつのルーツがあります。
名前だけでは見分けがつきにくいですが、実は血の系統も社会的な位置づけも全然違うんです。
晴明はまさにその皇別・中央貴族系の末裔として、宮廷で陰陽師としての地位を築いていったということですね。
五行要約