陰陽道にみる呪術の起源と歴史

陰陽道(おんみょうどう)というと、「式神」「呪文」「まじない」みたいな、どこかミステリアスなイメージがありますよね。でも実はこれ、ちゃんとした国家公認の呪術体系だった時代があったんです。

 

もともとは中国の哲学や道教の儀礼を土台に、日本で制度的・宗教的に深く根づいていった陰陽道。このページでは、その中核である「呪術」の起源と歴史について、時代ごとに整理しながらわかりやすくかみ砕いて解説します。

 

 

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中国の自然哲学が土台となった

陰陽道の呪術の起源は、中国古代の陰陽五行説道教の方術にあります。たとえば、

 

  • 易経に基づく占筮(うらない)
  • 神霊と通じるための呪文や印(九字や急急如律令)
  • 星の配置日取りによる吉凶判断

 

これらはすべて「自然と霊的な力を読み取って、現実を変える」ための実践知でした。

 

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律令国家とともに公的な呪術へ

日本では7世紀、天武天皇によって陰陽寮(おんみょうりょう)が設置され、そこが国家の呪術部門として機能しました。

 

この時期、陰陽道の呪術は以下のような目的で使用されました。

 

  • 追儺(ついな):大晦日に行われる鬼払いの儀式
  • 災厄除け:疫病・地震など自然災害への対処
  • 即位や遷都の占い:国家儀礼の吉凶判断

 

つまり、「呪術」がそのまま政治判断や国家安全保障のツールになっていたというわけです。

 

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安倍晴明と式神の伝説

平安時代には、安倍晴明が登場。十二神将や式神(しきがみ)を操る呪術師として、伝説的な存在になります。

 

彼の行った呪術はこんな感じ。

 

  • 式神:霊体を操って情報収集や防衛に用いる
  • 結界:目に見えないバリアを張ることで霊的な侵入を防ぐ
  • 幻術:相手の目をくらます視覚系の呪術

 

これらは後世の民間信仰や創作作品に影響を与え、晴明は「最強の陰陽師」として語り継がれていきます。

 

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中世以降は民間信仰として浸透

鎌倉〜室町時代には、呪術の役割が戦勝祈願厄除け家相・地鎮祭など、より身近なものへとシフトしていきました。

 

民間の陰陽師たちは、

 

  • 式盤による方位占い(六壬神課)
  • お札や呪符の配布
  • 病気平癒の加持祈祷

 

といった形で、人々の不安や願いに応える存在となっていきます。呪術の技法は修験道や神道と融合し、山岳信仰や村の祭祀でも使われるようになります。

 

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現代にも受け継がれる影響

明治以降、制度としての陰陽道は廃止されましたが、呪術文化は生き残りました。

 

  • 家相や風水の考え方
  • 厄年や節分といった年中行事
  • 呪術・式神をテーマにした漫画やアニメ

 

とくに現代の創作では、陰陽師と式神のコンビが日本独自のファンタジー様式として大人気です。こうして陰陽道の呪術は、姿を変えながら現代文化にも深く息づいているんですね。

 

五行要約

 
  1. 陰陽道の呪術は中国の道教・易経がルーツだった!
  2. 陰陽寮が設置され、国家の公的呪術となった!
  3. 安倍晴明が式神などの術で伝説的存在に!
  4. 中世以降、民間の祈祷や除災で浸透していった!
  5. 現代でも風水・創作・風俗習慣にその影響が続く!