
陰陽道(おんみょうどう)というと、「式神」「呪文」「まじない」みたいな、どこかミステリアスなイメージがありますよね。でも実はこれ、ちゃんとした国家公認の呪術体系だった時代があったんです。
もともとは中国の哲学や道教の儀礼を土台に、日本で制度的・宗教的に深く根づいていった陰陽道。このページでは、その中核である「呪術」の起源と歴史について、時代ごとに整理しながらわかりやすくかみ砕いて解説します。
陰陽道の呪術の起源は、中国古代の陰陽五行説や道教の方術にあります。たとえば、
これらはすべて「自然と霊的な力を読み取って、現実を変える」ための実践知でした。
日本では7世紀、天武天皇によって陰陽寮(おんみょうりょう)が設置され、そこが国家の呪術部門として機能しました。
この時期、陰陽道の呪術は以下のような目的で使用されました。
つまり、「呪術」がそのまま政治判断や国家安全保障のツールになっていたというわけです。
平安時代には、安倍晴明が登場。十二神将や式神(しきがみ)を操る呪術師として、伝説的な存在になります。
彼の行った呪術はこんな感じ。
これらは後世の民間信仰や創作作品に影響を与え、晴明は「最強の陰陽師」として語り継がれていきます。
鎌倉〜室町時代には、呪術の役割が戦勝祈願や厄除け、家相・地鎮祭など、より身近なものへとシフトしていきました。
民間の陰陽師たちは、
といった形で、人々の不安や願いに応える存在となっていきます。呪術の技法は修験道や神道と融合し、山岳信仰や村の祭祀でも使われるようになります。
明治以降、制度としての陰陽道は廃止されましたが、呪術文化は生き残りました。
とくに現代の創作では、陰陽師と式神のコンビが日本独自のファンタジー様式として大人気です。こうして陰陽道の呪術は、姿を変えながら現代文化にも深く息づいているんですね。
五行要約