
土御門家といえば、陰陽道の宗家として知られる一族ですが、その家紋「揚羽蝶(あげはちょう)」にはどんな由来があるのか、気になりませんか?
パッと見た感じ、「あれ?これって平氏の家紋と同じじゃない?」と感じた方も多いはず。でも実は、この蝶紋には意外な意味や歴史的背景が隠されているんです。
まず、蝶というモチーフ自体が選ばれた背景から見てみましょう。
蝶は幼虫→蛹→成虫へと変化することから、古来「再生」「不死」の象徴とされてきました。奈良・平安時代には吉祥文様として装飾に使われることが多く、特に貴族文化の中ではとても好まれていたんです。
つまり、揚羽蝶紋は見た目の美しさだけでなく、「良いことを呼び込む縁起の良い紋章」として大切にされてきたんですね。
蝶紋といえば、まず思い浮かぶのが平清盛や平家一門。実際、桓武平氏系の武将たちは、合戦のときの旗や鎧、牛車の装飾に揚羽蝶をあしらうことが多く、これが平氏の象徴とされてきました。
織田信長も「自らを平氏末裔」として揚羽蝶を使ったと言われていますし、戦国期以降は勇猛+優雅を両立する紋章としての地位を確立したんです。
ここがポイントなんですが、土御門家は源氏系。なので平氏とは血筋が違うんです。
じゃあなぜ同じ蝶紋を選んだの?って話ですが──
それは家紋の象徴性と美意識が大きく関わっていると考えられます。陰陽道という呪術・天文・暦の領域で朝廷や幕府に仕えていた土御門家は、見た目の華やかさや吉祥性を非常に大切にしていました。
つまり、平氏と同じではなくても、再生や霊的な象徴としての蝶に着目して、あえて「揚羽蝶」を家紋に採用したというわけです。
たしかに、土御門家や倉橋家が使っている揚羽蝶紋は、平氏のものとよく似ています。でも、よく見ると細部のデザインには違いがあるんですよ。
たとえば:
といった細部が違うんです。だから「まったく同じ家紋」ではないというのが正確なところ。
江戸時代以降、揚羽蝶は女性の家紋(女紋)としても使われることが多くなりました。柔らかくて優美な印象から、娘が母家から受け継ぐ紋としても人気だったんです。
土御門家・倉橋家に女系継承が多かったことも、揚羽蝶を好んだ一因かもしれませんね。
五行要約