
「鬼門(きもん)」って言葉、なんとなく「ヤバい方角」ってイメージ、ありません?とくに「北東」って言われると、ちょっと気になっちゃう人も多いんじゃないかなと思います。
実はこの鬼門、陰陽道(おんみょうどう)における超重要キーワードなんです!
でも、「なんで北東だけ特別なの?」「どうして避けなきゃいけないの?」って、改めて聞かれると…けっこう謎じゃないですか?
そこでこのページでは、陰陽道で北東が「鬼門」とされた理由について、古代中国の神話から、日本の都市計画まで、幅広くわかりやすくかみ砕いて解説します!
まずルーツをさかのぼると、なんと古代中国の神話書『山海経(せんがいきょう)※』にまで話がいきます。
この書物には、「東海の度朔山(とさくざん)」のてっぺんにある大きな桃の木のそばに、「鬼たちが出入りする門」があるっていう伝説が出てくるんですね。そこがちょうど北東の方角に位置してたとされます。
つまり、神話の時点で「北東=鬼が出てくるヤバい出口」っていうイメージができてたってわけ。
※山海経(せんがいきょう/さんかいけい)
中国古代の地理・神話書で、戦国時代〜前漢にかけて成立。全18巻からなり、奇怪な地理・動植物・神々・妖怪などを記録する。実在と虚構が交錯し、後世の道教・風水・怪異譚などに強い影響を与えた。想像力に富む内容から「古代中国のファンタジー地誌」とも呼ばれる。
陰陽道では、北=陰で東=陽なんですよ。で、そのちょうど境目にあたるのが北東。そこが「陰陽がぶつかる、不安定なゾーン」とされたんです。
たとえば季節でいうと、ちょうど冬と春の境目(旧暦の年末年始)で、疫病や災いが多い時期とされてました。鬼や邪気がうごめくのもこのタイミングなんですよ。
つまり、単なる方角じゃなくて、「運気が乱れやすいタイミングと重なる、要注意な場所」だったってこと。
こうした思想は、めちゃくちゃリアルな生活の中にも浸透しました。
特に建築では、北東にトイレや玄関を置かないっていう家相のルールが有名ですよね。
でももっと本格的なのが、京都御所や江戸城といった歴史的建築!鬼門の方角に「猿の像(猿辻)」を置いたり、北東の角をへこませたりして、物理的に邪気の通り道をカットする工夫がされてるんです。
また、北東に位置する比叡山・延暦寺なんかは、「京の鬼門を封じる霊山」として配置されていたとも言われています。
鬼門除けの概念は、個人の家だけじゃなくて、街づくりそのものにも関わってきました。
都市まるごとで「霊的バリア」を張るという、まさにスケールのでかい方位除けだったわけですね。
ちなみに、江戸時代になるとちょっと考え方も変わってきます。
学者の新井白石※なんかは、「方位にそこまでこだわらなくてもいい」としながらも、「信仰としての鬼門除けはアリだよ」っていう、わりとバランスのとれた考え方をしてました。
つまり、スピリチュアルでもあり、実践的でもあるっていうのが鬼門という概念の特徴なんです。
※新井白石(あらいはくせき)
江戸時代中期の儒学者・政治家で、6代将軍徳川家宣に仕えた側用人。正徳の治と呼ばれる政治改革を主導し、貨幣改鋳や貿易制限などを行った。また『西洋紀聞』や『采覧異言』などを著し、海外事情の紹介や歴史研究でも業績を残す。実証的で合理的な学風が特徴。
五行要約