
「八咫烏(やたがらす)」──それは日本神話に登場する神の使い、導きの鳥として知られています。そしてこの八咫烏と賀茂氏には、実は切っても切れない深い神話的つながりがあるんです。
このページでは、八咫烏=賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)という視点を起点に、賀茂氏がいかにして陰陽道の中核を担う一族となっていったかを、神話・制度・儀礼の観点から紐解いていきます。
八咫烏といえば、神武天皇の東征を導いた「三本足の霊鳥」として有名ですが、実はこの八咫烏の正体こそが賀茂建角身命だとする伝承が存在します。
『古事記』や『日本書紀』の中では、神武天皇が熊野で道に迷ったとき、天照大神の使いとして八咫烏が現れ、大和への道を先導します。
しかもその姿は、空を飛び、神意を伝える霊鳥──
そしてその八咫烏が実は賀茂氏の祖先である賀茂建角身命の化身だという伝えが、上賀茂・下鴨神社の祭神体系にしっかりと根付いているんです。
神武天皇を導いたこの伝承は、単なる神話ではなく「王権の正統性を示す儀礼的証明」として機能していました。つまり、
八咫烏の血を引く=天皇を導く資格を持つ一族
という構図ができあがっていたわけですね。そしてこの「導く力」は、のちの賀茂忠行・賀茂保憲によって陰陽師としての神威に変換されていくことになります。
京都の上賀茂神社・下鴨神社には、立砂(たてずな)という円錐形の白砂が境内に設置されています。これは「陰と陽」のバランスを象徴するものであり、まさに陰陽道の空間思想を体現したもの。
また、社殿の配置や鳥居の方角なども、陰陽五行や方位術に基づいて設計されていると考えられています。
こうした要素を見ると、賀茂氏は単なる神職の家ではなく、神道と陰陽道を融合させた“霊的官僚”だったことが見えてきます。
平安時代に入ると、賀茂氏は陰陽寮(国家の天文・占術・暦を司る役所)で頭角を現します。
特に賀茂忠行は、天文・暦・呪術に通じた超実務派の陰陽師であり、朝廷からも深く信頼されていました。彼の子・賀茂保憲も後を継ぎ、後の安倍晴明を育てることになります。
こうして「八咫烏の霊力→陰陽道の権威」という流れが完成するわけです。
八咫烏は今も「勝利の象徴」として人気があります。
たとえば日本サッカー協会のロゴには三本足の八咫烏が描かれていますし、上賀茂・下鴨両神社では「勝守」と呼ばれるお守りが授与されています。
これは、古代から続く「導きの神」の信仰が、現代でも生き続けている証といえるでしょう。
五行要約