安倍晴明の「呪い返し」にまつわる逸話

安倍晴明といえば、日本史上もっとも有名な陰陽師。数ある逸話のなかでも、特に注目すべきなのが「呪い返し」に関するエピソードです。でも実際は、“ただの仕返し”ではなかったってご存知でしたか?このページでは、晴明が行った「呪い返し」の実態を、いくつもの具体的な伝承や儀礼例を交えてご紹介します。

 

 

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呪い返しではなく「祓い消す」スタイル

まず前提として知っておきたいのが、晴明の術は単なる「返し」じゃなかったこと。彼は呪詛の根源を祓い清めた上で、相手に返さず消すという独自の方針を持っていたと伝えられています。

 

その代表例が、中臣の祭文(大祓詞)を唱えながら行う祓礼。式神を召喚し、祓戸四柱の神を呼び出して、呪詛の「怨力」を根の国へ送り返して消し去るというものです。報復ではなく、あくまで浄化を目的としたスタンスだったんですね。

 

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『宇治拾遺物語』に見る呪詛返しの実例

実際の逸話でも、晴明のこの方針は貫かれていました。たとえば、『宇治拾遺物語』には、病に苦しむ蔵人少将のために祓礼を行い、式神を通じて呪詛の源を祓い消したという話が記録されています。

 

しかもその際、加害者の陰陽師は「自分の使った式神が逆流して自分を襲った」と告白したそうで、返したというより因果が巡って消えた、という感じ。式神が“戻ってくる”というイメージも興味深いですよね。

 

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一条天皇の遷御でも術を実行

呪い返しの儀礼は、宮廷の大事な場面でも使われていました。たとえば、一条天皇が新内裏に遷御(引っ越し)する際、晴明が行ったのが「反閇(へんばい)」と呼ばれる特殊な歩行呪術。

 

これは兎歩(とほ)と呼ばれる独特の歩き方で地の邪気を踏み固めながら前進し、周囲を清めるという術。通常は陰陽寮の官人が担当するところを、晴明の卓越した技量によって特例として晴明本人が任されたという記録が残っています。

 

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師・賀茂保憲から受け継がれた術

晴明の呪い返しは完全オリジナルというわけではなく、師である賀茂保憲から受け継いだ要素もありました。保憲には、病人にかかった呪詛を月光と水面を使って跳ね返したという逸話があり、これは「鏡のように返す」という陰陽道の基本思想を象徴しています。

 

この考え方は晴明にも引き継がれていて、「自ら呪うと相手と同レベルに落ちる」という哲学とあわせて、より高次な“祓いと制御”の術式に昇華されていったのです。

 

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中国圏の伝承にも見る呪詛返し

おもしろいのは、晴明の呪詛返しの伝説が中国語圏にも伝わっているという点。『今昔物語』系譚のなかには、式神で呪いを仕掛けた陰陽師が、晴明によって逆にその式神で打ち負かされる、という話があり、相手が「自分が使った式神に打たれた…」と嘆く様子が描かれています。

 

また、中国語版の伝記では、晴明が青蛙を遠隔で殺したり、門を人手なしに開閉させるといった呪術を披露し、術の実在性を示す存在として語られているんです。

 

五行要約

 
  1. 晴明は呪詛を返さず祓い清めて消すという独自の術を使っていた!
  2. 中臣の祭文と式神を組み合わせた儀礼で怨力を根の国へ封じた!
  3. 反閇の術で地の邪気を浄化し、宮廷行事でも術を実行していた!
  4. 師・賀茂保憲の「呪詛は鏡のように返る」思想を継承していた!
  5. 中国圏にも呪詛返しの伝承が伝わり、晴明の術は国境を超えていた!