陰陽頭とは|歴代の就任者は誰?

陰陽頭(おんみょうのかみ)って、ただの占い好きなお偉いさん…じゃないんです!

 

実は、古代から近世にかけて、国家レベルの天文・気象・暦・占術を統括していた超重要ポジションなんですよ。

 

このページでは、そんな陰陽頭の役割・権限・歴代の人物をくわしくご紹介します!

 

 

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陰陽頭は陰陽寮のトップ

陰陽頭とは、律令制における陰陽寮の長官で、別名「司天監(してんかん)」とも呼ばれました。

 

この役職の最大の特徴は、国家に関わる重大事項――つまり、天文異象や天災、改暦、王朝の運勢など――を天皇に直接奏上できる立場にあったこと。

 

特に「密奏(みっそう)」という形式では、従三位以上の高官が天皇に極秘報告することができ、その中心人物がこの陰陽頭でした。

 

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陰陽頭の仕事ってなに?

陰陽頭の具体的な職務はこんな感じでした。

 

  • 天体観測・気象異変のチェックと報告
  • 暦の編纂・決定(いつが元日か等)
  • 占術の統括(国家儀式の吉凶判断)
  • 時報管理(漏刻による時間の記録)
  • 天皇への奏上(密奏・勘文擇申)

 

国家の安寧にかかわる「天のサイン」を解読し、政治に活かす。まさに国家の天窓係とも言える存在ですね。

 

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歴代の代表的な陰陽頭たち

記録に残る陰陽頭の中でも、とくに有名な人物をピックアップしてご紹介します!

 

  • 津守連通(つもりのむらじ・706年頃):奈良時代の陰陽頭。占術の功績で初期の陰陽寮を牽引。
  • 藤原永貞(ふじわらのながさだ・814年):従五位下で就任。『日本後紀』にも記録あり。
  • 小野諸野(おののもろぬ・814年):同年に備中介との兼任で陰陽頭に任命。
  • 賀茂在冬・賀茂在彦(かものありふゆ・ありひこ):鎌倉〜室町期に活躍。天皇日記にも名前が出てくる。
  • 土御門家(安倍晴明の子孫):平安中期から江戸末期まで陰陽頭を世襲。幕末の土御門晴雄の死(1869年)で制度終了。

 

その血筋をたどれば、安倍晴明が国家中枢にいたことがよくわかります!

 

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陰陽頭の奏上方式とは?

陰陽頭には2つの奏上方法がありました。

 

  • 密奏(みっそう):極秘で天皇に直接報告。災害・星変・天命に関する重大事項。従三位以上の陰陽頭のみ。
  • 勘文擇申(かんもんたくしん):中務省経由で正式に提出される通常の奏上形式。

 

この「密奏」ができるのは、ごく限られたエリート中のエリートだけ。特別な地位にある陰陽頭が、天皇の耳に真っ先に情報を届ける存在だったんです。

 

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陰陽頭のまとめ表

項目 詳細
職名 陰陽頭(司天監)
役割 陰陽寮の長官、天文・暦・占術・時報の統括
主な奏上 密奏(直接奏上)、勘文擇申(正式報告)
歴代人物 津守連通、藤原永貞、小野諸野、賀茂在冬、安倍→土御門家
制度廃止 明治2年(1869年)、土御門晴雄の死去を契機に終了

 

五行要約

 
  1. 陰陽頭は陰陽寮のトップで、国家占術の責任者だった!
  2. 密奏という特権で天皇に直接情報を報告していた!
  3. 代表的な就任者は津守連通・安倍家・土御門家など!
  4. 安倍晴明の子孫である土御門家が江戸末期まで世襲!
  5. 制度は明治2年に廃止され、長い歴史に幕を閉じた!