
蘆屋道満――その名は「安倍晴明のライバル」として名高いですが、晴明と同様にその血筋は継承されたのでしょうか。
このページでは、そんな道満の家族や血筋にまつわる伝承を整理して、「子どもや兄弟っていたの?」「子孫って残ってるの?」という疑問を解消していきたいと思います。
まずは基本的なところから。蘆屋道満の兄弟や子どもに関する確かな史料は、残っていません。
『宇治拾遺物語』『古事談』『十訓抄』など、道満が登場する平安期の説話には、彼自身の術やエピソードは豊富に載ってるんですが、家族構成に関する記述はゼロ。
「妻・利花(りか)との不倫劇」などのドラマチックな話は、あくまで江戸以降の創作なんですね。
とはいえ、伝承が全く何もないわけではありません。
兵庫県姫路市飾磨区三宅地区には、「蘆屋塚」と呼ばれる場所があり、そこを代々守ってきた道満の末裔を名乗る家系が存在します。
地元の伝承によれば、「我が家は道満の子孫である」と語り継がれていて、江戸時代以前からその土地に根付いていたそうです。
ただし、これを裏付ける系図や一次資料は確認されていないため、学術的には「伝承」の域を出ていないんですね。
近年では、一部の講演会や民間団体などで、「道満家」を名乗る人々が、陰陽道の伝統を現代に継承していると語るケースもあります。京都を中心に、式神や九字切りのワークショップを行う例も。
とはいえ、これもやはり公式記録に基づく家系とは言い難く、伝承とスピリチュアル文化の延長と見るのが妥当です。
注目すべきは、道満が出自とされる播磨国(兵庫県)※が、実は古来から「地方の陰陽師集団」が存在していた場所だということ。
賀茂・安倍系が京で栄える一方、播磨や但馬には法道仙人系や地域密着型の陰陽師がいて、道満はその代表とみなされてきました。
これらは、実際の血筋というよりも、精神的な継承・信仰対象としての“道満の子孫”という意味合いが強いかもしれません。
※播磨国(はりまのくに)
古代日本の令制国の一つで、現在の兵庫県南西部にあたる。畿内に近く、政治・経済・交通の要地として栄えた。播磨風土記にも記録が残り、神話や伝承も豊富。姫路城や書写山圓教寺など歴史的建造物も多く、中世以降も文化的影響力を持ち続けた。
確実な家系図は残されていないけれど、播磨のあちこちに「道満ゆかりの場所」が点在し、今でもお祀りされているという事実は重いです。
それはもしかすると、血のつながりを超えて道満という存在が“地域の知恵と信仰の象徴”になっていた証とも言えるんじゃないでしょうか。
五行要約