
陰陽師って聞くと、やっぱり安倍晴明のイメージが強いかもしれませんが、実は日本にも中国にも、たくさんの実在した陰陽師・陰陽家がいたんです。このページでは、そんな歴史に名を残した人物たちをズラッとご紹介!制度の整備に尽くした者、宗教的な立場で信仰を広めた者、そして呪術・戦術に精通した伝説の術士まで、かなりバリエーション豊かですよ。
さあこのページでは、「実在した陰陽師」を、国別・時代別にわかりやすくかみ砕いて解説します!
安倍晴明(あべのせいめい)は、平安中期のスーパースター的存在!陰陽寮という国家の占術機関に所属し、暦の編纂・天文観測・災厄の封印・呪術対応と、幅広い任務を担っていました。
彼がすごかったのは、なんといっても「式神」を使役してたという話。人には見えない霊体を操って、情報収集や結界防衛なんかをしてたらしいんです。しかも、藤原道長や花山天皇、一条天皇にも頼られるレベルで、実力と人望を兼ね備えた人物だったとか。
ちなみに晴明の家系は代々陰陽師として続いていき、「土御門家」として幕末まで影響力を持ってました。
晴明の先生といえば賀茂忠行。その息子の賀茂保憲も含めて、賀茂一族は平安期の陰陽寮を牛耳ってたんですよ。
忠行は射覆(しゃふく)っていう、箱の中身を当てる占術を天皇の前で披露してみせるほどの名人。さらに陰陽思想を占術だけじゃなく、呪術的な儀礼体系として発展させた点でも評価されてます。
その息子・保憲もかなりの切れ者で、晴明が師事したことでも知られています。陰陽寮内では忠行から保憲、そして晴明というラインで学問・技術が継承されたということですね。
「陰陽師」というのは平安時代からの公的な官職名で、いわば占い系公務員。陰陽寮の中には、占術の専門家陰陽博士や、天体観測を担う天文博士、さらには暦博士なんてのもいて、それぞれの分野を分担していました。
主な仕事内容はこんな感じ:
こうした業務に関わった実務者たちも、れっきとした「陰陽師」なんです。名前が残ってないだけで、腕のあるプロフェッショナルたちが陰陽道を支えてたんですよ。
中国にも日本の陰陽師にあたる「陰陽家」と呼ばれる人々がいました。
その筆頭として挙げられるのは、まず鄒衍(すうえん)。紀元前の戦国時代に活躍した思想家で、陰陽五行を組み合わせた理論を打ち立てました。「水→火→木→金→土」の順に王朝が交代するという五徳終始説は有名。
それから張蒼(ちょうそう)という人物も、秦・漢の時代に暦法の整備で活躍。陰陽学に加えて儒教の知識も兼ね備えた、まさに文武両道タイプ。
もう一人、あまり知られてないけど重要なのが方相氏(ほうそうし)。疫病や厄災を祓う国家儀礼「儺(な)」を行う専門職で、仮面をつけて悪霊を追い払う儀式をやってたんです。中国の陰陽師は祭祀や儀礼に関与する実務者が多かった印象ですね。
もう少し時代が下ると、陰陽家は道教と結びつくようになります。たとえば范長生(はんちょうせい)という人物は、道教の天師道のリーダー格。四川の青城山に拠点を持ち、宗教的影響力も絶大でした。
呪術・占術だけじゃなく、政権との関係も強く、天師道の教義には陰陽五行の理論が組み込まれていたんです。まさに陰陽道と道教のクロスオーバーですね。
また、日本にも伝わる逸話を持つ伝説の陰陽師・鬼一法眼なんて人もいます。源義経に兵法と術を教えたとされるけど、その実在性はちょっと怪しい…でも、記録に名前が出てくる以上、当時の人々の信仰対象だったのは間違いないでしょう。
五行要約