有名な陰陽師といえば?

有名な陰陽師といえば?

陰陽師といえば安倍晴明の名ばかりが知られていますが、陰陽師とはかつて実際に存在した官職ですので、当然ながら清明以外にもたくさんの陰陽師がいました。

 

飛鳥時代の陰陽師

■恵慈(えじ)
595年(推古天皇3年)に高句麗から来朝し、聖徳太子の仏法の師となった人です。

 

■僧旻(そうみん)
遣隋使・小野妹子に従って随に渡り、陰陽五行思想、仏教などを学びました。流星を天狗の吠え声と主張し、彗星の出現は飢饉の前兆だと予告しました。

 

奈良時代の陰陽師

■吉備真備(きびのまきび)
遣唐使として唐に渡り、陰陽五行思想を学んだ学者です。聖武天皇の下、それまでの「呪禁師」を廃止して「陰陽道」を採用しました。

 

■津守通(つもりのとおる)
草壁皇子に重用された、渡来人系の陰陽師です。

 

■藤原刷雄(ふじわらのよしお)
遣唐使の藤原清河に、留学生として付いていき、陰陽五行思想を学びました。

 

平安時代の陰陽師

■滋岳川人(しげおかのかわひと)
平安時代(前期〜中期)、文徳天皇・清和天皇の頃に活躍したといわれる陰陽師です。今昔物語集では、地神の追跡を呪を唱えて逃れたという話があり、呪術に長けていたと考えられます。

 

■安倍晴明(あべのせいめい)
古事記、平家物語、今昔物語集など様々な古書に記録があり、最も有名な陰陽師です。遣唐使として唐に渡り陰陽道を学び、帰国後独自の陰陽道を築き上げました。【参照:安倍晴明がなぜ最強かわかる5つの逸話

 

■蘆屋道満(あしやどうまん)
清明のライバルともいわれている陰陽師です。清明とは違い陰陽寮に所属しない、フリーランスの陰陽師です。清明に劣らない呪術力があるとされました。フィクションでは、清明の敵役としてよく取り上げられます。【参照:安倍晴明のライバル蘆屋道満こと道摩法師は悪者ではない

 

江戸時代の陰陽師

■土御門晴雄(つちみかど はるお)
安倍晴明の末裔・土御門家の当主です。1842年に陰陽頭となり、江戸幕府崩壊後は新政府に働きかけ、陰陽寮の権限を拡大を行なうなど、陰陽道の発展に尽力しました。しかし努力むなしく彼の死後、陰陽寮は解体されてしまい、事実上土御門家最後の当主といえます。

 

※関連記事:江戸時代にも陰陽師はいたの?

 

明治時代の陰陽師

■土御門晴榮(つちみかど はれなが)
土御門晴雄の養子で、土御門家の家督を継いだ人物です。晴雄亡き後、陰陽寮は廃止され、江戸幕府より与えられていた土御門家の特権は次々と剥奪されました。陰陽師が史上最も不遇を迎えた時代といえるでしょう。

 

※関連記事:陰陽寮が廃止された理由とは?