陰陽師というと平安時代というイメージが強いかもしれませんが、陰陽師が務めた「陰陽寮」は、奈良時代中期に施行された『養老令』下にあり、『養老令』は飛鳥時代末期に施行された『大宝令』とほとんど同じ内容です
陰陽師は風雲・天文の観測、暦数・時刻の管理運営を行い、生活のあらゆることがらの吉凶を占うことが主な仕事でした。
もちろん勝手にやっていたのではなく、「律令制において中務省に属する機関の一つ『陰陽寮』の官職」なので、国家公務員と同じような職業だったのです。
平安時代のイメージばかりが強いですが、最強の陰陽師として名高い安倍晴明の子孫である土御門家が隆盛を誇ったのは江戸時代です。
19世紀後半というわりかし最近まで存続していた職業なんですね。
しかし明治時代になり政府に陰陽道を迷信と断じられたことで、陰陽寮は廃止、陰陽師は仕事がなくなり、民間での活動も禁止されてしまいます。陰陽師の時代の終焉です。
陰陽師が不要とされた大きな理由として以下の二つがあげられます。
厄介な迷信を生む民間信仰と判断されたものは皆排除されています。残念ながら陰陽道はそのうちの一つでした。