
陰陽道の専門官庁だった陰陽寮(おんみょうりょう)は、国家レベルで天文・暦・占術を統括していた超エリート機関。現代でいうと、科学省・気象庁・占い協会が合体したような感じかも…?ってくらい、いろんな役職が集まってたんですよ。
このページでは、そんな陰陽寮の役職構造と部門構成について、時代背景もまじえながら、わかりやすくかみ砕いて解説します!
「陰陽道の祖」といわれる吉備真備
陰陽道の聖典『金烏玉兎集』を唐から持ち帰り、陰陽寮の制度を整備した功績で知られる。
出典:Photo by LACMA / Wikimedia Commons - Public domain
陰陽寮は、701年(大宝元年)に制定された大宝律令で正式に設置された官庁で、中務省の下に置かれていました。もともとは天武天皇の時代(675年)から存在していたとされ、明治3年(1870年)に廃止されるまで、ずっと国家の“天と地の動き”を見張っていたんです。
役割としては、以下の4つが主な柱でした。
この4本柱をそれぞれ担当する部門があって、技術職・研究職・管理職と、多彩な人材がそろってたわけですね。
陰陽寮は四等官制で構成されていて、トップから順にこんな感じ。
こうした管理職の下に、実務をこなす博士・陰陽師・学生たちが配置されていたわけです。
陰陽寮のすごいところは、占いだけじゃなくて専門分野に応じた教育機関も兼ねていた点。以下の4つの部門ごとに、博士と学生が配置されていました。
各部門には博士1〜2名+学生10名+得業生2〜3名がセットで配置されていて、ちゃんと後継者育成の仕組みも整っていたんですよ。
役人だけじゃ回らないのが組織の現実…ということで、庶務や雑用を担当する人たちもいたんです。
まさに「官僚から用務員まで」ぜんぶそろったハイブリッド機関。それが陰陽寮だったってわけですね!
ここで、全体の構成を整理してみましょう。上から下までバッチリ整ってました!
陰陽頭
陰陽助/陰陽権助
陰陽大允/陰陽少允
陰陽大属/陰陽少属
使部20、直丁2〜3
この組織体制が、約1200年にわたって運営されてたと考えると…国家の裏方ってほんとにすごいですね。
五行要約