
陰陽師って、ただの占い師や呪術師じゃないんです。実は、古代日本における神々との仲介者という、とっても重要な役割を担っていたんですよ。
特に平安時代の陰陽道では、神道・道教・仏教が入り混じる中で、陰陽五行や天文方位の思想をベースに、さまざまな神格が信仰されました。このページでは、そんな陰陽道にゆかりのある神々を一気にご紹介!
もともと陰陽道は中国伝来の思想なんですが、日本に入ってからは神道や密教、さらには道教や仏教の神々とドンドン融合していったんです。
たとえば、星や方角に宿る神を崇める形で、天文道や方位術に神格が付与されていきました。そして陰陽師たちは、そういった神々に祈り、守りや導きを得ていたんですね。
黄幡神(八将神の一柱)の図
中世の陰陽道における八将神の一人、黄幡神を描いた挿絵
陰陽道でとくに重要とされたのが八将神(はっしょうしん)。これ、実は木星・金星・土星・水星など、天体の精霊を神格化したもので、それぞれが吉凶の方位を司っていたんです。
これらの神々は毎年、方角を変えて巡行するとされていたので、年ごとに「この方角に家を建てちゃダメ」「この方向への旅は避けよう」なんて方違えが行われたんですよ。
祇園大明神(牛頭天王・素盞嗚尊の習合神)の図
実はこの八将神、「もともと牛頭天王(ごずてんのう)の子どもたち」とする説もあります。牛頭天王って聞き慣れないかもしれませんが、疫病を防ぐ神様として祇園信仰の中心にいる存在なんです。
神仏習合の時代には、陰陽道の鬼祓いや厄除けの神として超人気者! しかも「八人の王子=八将神」との説話もあって、陰陽道と神仏のクロスオーバーがめちゃくちゃ面白いところです。
陰陽師たちが祈った相手は、方位神や星神だけじゃありません。以下のような神々も崇敬と信仰の対象でした。
延命祈願、厄除け、病気平癒…いろんな願いごとに応じて神様を選び、呪文や儀式で祈るのが陰陽道式だったわけです。
江戸時代には土御門家が陰陽道を継承して、天皇や幕府からの信任を受けてました。でも、明治維新の神仏分離や近代国家の宗教政策によって、陰陽道は「非公認の信仰」とされて衰退していったのです。
とはいえ、方除けの神社や、節分の鬼祓い神事なんかには、今でも陰陽道由来の神々がしっかり息づいてるんですよ!
五行要約