安倍晴明の歴史・経歴
このカテゴリーでは、921年生まれの天文博士・安倍晴明の成長過程や官位、陰陽寮での活動、式神や占術の実績、藤原道長との関係などを史実と伝説を交え解説し、その人物像への理解を深める助けになれば幸いです!

安倍晴明の歴史・経歴

安倍晴明という名前を聞いて、「あ、式神使う人!」とピンとくる人も多いかもしれません。今やアニメや映画、小説でもおなじみの存在ですが、じつは彼、フィクションだけの人物じゃないんです。れっきとした平安時代の実在人物、そして宮廷に仕えたガチの官僚でもあったんですよ。

 

このページでは、そんな安倍晴明という人物の「実像」と「伝説」、両方の顔をじっくり掘り下げていきます。その生い立ちから陰陽師としての活躍、さらには死後の神格化まで、時系列に沿ってわかりやすくかみ砕いて解説します。

 

 

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中級貴族に生まれた少年時代

安倍晴明が生まれたのは西暦921年、父は安倍益材という中級官僚でした。いまでいうと国家公務員の家系って感じですね。晴明自身もエリート街道まっしぐら…というわけではなく、幼少期からちょっと変わった力を持っていたとも伝えられています。

 

有名なのが「百鬼夜行を見破った」という逸話。まだ子どもの頃、師匠の賀茂忠行と一緒に夜道を進んでいたとき、鬼たちの行進を見抜いて難を逃れたんだとか。ここから、彼の“ただ者じゃない”人生が始まるわけです。

 

百鬼夜行
『今昔物語集』において、陰陽師・賀茂忠行が内裏からの帰途、幼い安倍晴明に呼び止められ百鬼夜行に遭遇。晴明の霊視力により災厄を回避し、以後忠行は晴明を弟子として育てたという。

出典:河鍋暁斎/Wikipedia Commons Public Domainより

 

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陰陽寮に出仕して宮廷デビュー

本格的に歴史に名前が現れるのは960年。晴明が「天文得業生」として陰陽寮に登用された記録が残ってます。これはいわば「成績優秀な実習生」的な立ち位置で、ここから彼は天文博士主計権助左京権大夫といった官職を歴任します。

 

彼の役目はというと、星の動きを読み、暦を編纂し、重要な儀式の日時を決めること。今でいう占星術師というよりは、科学と儀礼の専門職という感じでした。

 

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占術と祓いのスペシャリストとして活躍

なかでも晴明が名をはせたのが、宮廷行事での天文密奏陰陽道儀式の場面。鬼を追い払う「追儺」や、疫病よけの祓いなど、国家的な行事に欠かせない存在だったんです。

 

吉田神社の追儺(節分儺儀式)
陰陽道に取り入れられた儺の儀式で、陰陽師に導かれる方相氏やシン子が鬼を祓い、鬼への供物と祭文を通じて邪気を払い清める場面を捉えた歴史的風景

出典:Author:中島荘陽 / Wikimedia Commons Public domainより

 

そして彼の超常的なイメージを強く印象づけるのが式神の存在。伝説では、庭の陰に式神を待機させていたとか、カエルを即死させる術を使ったとか…まさにリアル陰陽師のイメージを体現する逸話が多く語り継がれました。

 

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土御門家を興し、死後は神として祀られる

85歳で亡くなった晴明は、その死後すぐに一条戻橋のそばに「晴明神社」が創建されます。京都では今でもパワースポットとして大人気ですよね。

 

さらに彼の子孫たちは土御門家として陰陽道を継承。鎌倉・室町・戦国時代を経て、江戸時代に至るまで、陰陽師といえば土御門家、という地位を確立しました。

 

土御門家の家紋『揚羽蝶』

出典:Ageha inverted.svg / Public domainより

 

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現代文化への影響も絶大

安倍晴明の人気は、20世紀に入っても止まりません。夢枕獏の小説『陰陽師』が大ヒットしたことで、映画・漫画・アニメなどで続々と“清明ブーム”が起こります。

 

フィクションの中では式神を駆使し、鬼や妖怪と戦うヒーローとして描かれることが多いですが、それは彼が史実と伝説、どちらの顔も持っていたからこそ。晴明という存在は、時代を超えて「知的でミステリアスな陰陽師像」の原点となっているのです。

 

五行要約

 
  1. 安倍晴明は平安中期に実在した陰陽師で、天文学と占術のスペシャリストだった!
  2. 幼少期から不思議な力を持ち、賀茂忠行に師事して陰陽道を学んだ!
  3. 宮廷に出仕し、天文密奏や追儺など重要儀式を担当!
  4. 晩年は陰陽道の名門・土御門家の祖となり、死後には神社も建立された!
  5. 現代でも小説やアニメで語り継がれ、多くの人々に影響を与えている!