
陰陽師・安倍晴明といえば「最強の呪術師」として知られてますが、その力、どこから受け継がれたと思います?じつはその背景には、かなり興味深い家系と血筋があるんです。
古代から近世にかけて、晴明の一族は宮廷で陰陽師としてバリバリ活躍し、江戸時代を経て明治にまでその名を残しました。でも、途中では直系が絶えたり、養子が入ったり、女系でつながったりと…その道のりはまさに「系譜の迷宮」!
このページでは、安倍晴明の出自・子孫・そして現代までつながる家系の流れをわかりやすくかみ砕いて解説します。
安倍晴明の父親は、平安中期に宮廷に仕えた中級貴族安倍益材(ますき)。この安倍氏という家系は、なんと系図上では孝元天皇の子孫ともされる、皇別に近い家柄なんです。
孝元天皇
日本の神話時代における第8代天皇。その遠い子孫が晴明ともいわれている。
出典:三英舎(San’ei-sha)刊 / Wikimedia Commons パブリックドメインより
つまり「そこそこの貴族」ではあるけれど、皇族との血のつながりを背景に、朝廷の中でもしっかりポジションを持っていたわけですね。
そして晴明自身も若いころから賀茂忠行・保憲の弟子として修行を積み、自然と陰陽寮(政府の陰陽師機関)に仕えることになります。まさに血筋と努力の両輪でスタートを切った感じです。
「晴明に子どもなんていたの?」って思う方もいるかもしれませんが、記録に残ってるだけでも息子が2人います。名前は安倍吉昌と安倍吉平。
この2人は、父と同じく陰陽師として出仕しており、とくに吉昌は「陰陽助」や「天文博士」にもなってるんです。つまり、職業としてちゃんと跡を継いでいたというわけ。
ただしこの男系、時代が進むにつれてどうやら絶えてしまったみたい。じゃあそこで終わり?と思いきや、ここからが晴明一族のすごいところ!
安倍家の直系が断絶したあと、血筋と術を守るために養子縁組や女系継承が行われました。その結果生まれたのが、あの土御門家(つちみかどけ)です!
ここは安倍晴明の後継者として江戸時代まで陰陽師職を世襲。幕府に仕えたり、暦を作ったり、占いをしたりと大活躍。土御門泰福(やすとみ)のように、近世でもその名を轟かせた人物もいたんですよ。
土御門家の家紋『揚羽蝶』
陰陽師が装束や調度にも取り入れた雅な意匠。天文観測の儀式空間にも調和するデザイン
出典:Ageha inverted.svg / Public domainより
さらにおもしろいのは、晴明の血を引く家系が他にもいくつか存在してること。たとえば岩倉家や倉橋家なんかは、「うちも晴明の系譜だよ〜」と名乗っていたそうです。
ただしこれはあくまで「伝承」レベルで、ちゃんとした系図が残っているわけではない場合が多いです。中には「晴明の娘が皇室に嫁いだ」なんて話までありますが、学術的な裏付けはほとんどないのが現状です。
現代の感覚では、「本当に血がつながってるの?」ってつい思っちゃうんですが、平安〜近世の家系って血よりも“名跡”が大事なんですよね。
たとえば「安倍晴明の名を継ぐ家」としての土御門家は、たとえ養子であっても「晴明の子孫」としてふるまい、術や知識を引き継いでいった。血が切れても、家は続いていたわけです。
五行要約