現代の多くの人がイメージする陰陽師とは、和風ファンタジーを盛り上げる「キャラクター」的色合いが強いのではないでしょうか。こういう↓↓イメージありません?
式神を召喚する、呪文を唱え術を発動する、そんな人知を越えた力を持つ超能力者・霊能力者のような存在。そんな印象が強いと思います。
確かに陰陽師は存在しました。しかしその実態は、フィクションに見られるような超常的な存在ではなく、あえて実態にに即した肩書きを付けるのなら「科学者」「占い師」などと呼べる存在です。
陰陽師とは、奈良時代・平安時代以降存在した律令制における官職の一つです。現代でいう国家公務員みたいなものでした。そしてその仕事は、簡単にいえば以下のようなことです。
現代でいう占い師と天文学者をミックスしたような職業といって良いでしょう。
当時の科学的解釈では、天文現象は天からのメッセージとされ、天文学に通じる科学者は、生活のあらゆる事がらの吉凶を知ることができる占い師でもあったのです。
最初に述べたように、現代で「陰陽師」と聞けば、退魔行というイメージが強いかもしれませんが、それは怨霊信仰が強くなって上記の仕事の延長線上とやるようになったに過ぎず、メインではなかったのです。
陰陽師の仕事は、天文現象を観測し、観測結果を元に暦を作り、作成した暦を元に占いをすることであると説明しました。
陰陽師が作る暦は『具注暦(ぐちゅうれき)』と呼ばれ、これには日ごとの吉凶、運勢、禁忌、星座、季節の変動、といった情報がつぶさに書き込まれていました。
当時はこの暦の情報を元に、様々なイベントの日時を決めたり占ったりしていたのであり、暦がなければ何の予定も立てられないので、かなり重要な仕事だったわけです。
陰陽師が所属していたのは、律令制において中務省に属する機関の一つ「陰陽寮」です。国を統べる朝廷が陰陽師を管理独占する為につくった機関で、今で言う文部科学省のようなものです。
陰陽寮を統括する長官として陰陽頭(おんようのかみ)がおり、その下に技術系官僚として陰陽師、その陰陽師を育成する教育係として陰陽博士などが置かれました。研究機関と教育機関を兼ねているような所です。