
陰陽道(おんみょうどう)――それは、宇宙の法則を読み解き、自然と人との調和を目指す、日本独自の知の体系。占いやおまじないだけじゃなく、実は国家公務として確立された、れっきとした学問だったんです!
その起源は古代中国の陰陽思想と五行思想にさかのぼり、日本に伝わるとともに天文・暦法・呪術・風水などを取り込んで、独自のスタイルで発展していきました。なかでも陰陽寮という役所が作られていたことからも、その制度的な地位の高さがうかがえますよね。
このページでは、そんな陰陽道を5つの学問的な特徴に分けて、わかりやすくかみ砕いて解説します!
五行の相生相克図(日本語版)
木・火・土・金・水の五行がそれぞれ生成(相生)・抑制(相克)しあう関係を示す伝統思想の図
出典:Create by Ju gatsu mikka / Wikimedia Commons CC BY-SA 2.5, 2.0, 1.0より
陰陽道の土台になっているのが陰陽五行思想。すべての現象は「陰」と「陽」のバランス、そして木・火・土・金・水という5つの要素で説明されるんです。
この考え方は、単なる迷信じゃなくて「なぜ季節が移り変わるのか」とか「人の気分や体調がなぜ変わるのか」といった、自然現象や人間の行動原理を読み解く理論として成立していました。
つまり陰陽道って、意外と“科学っぽい哲学”でもあったんです!
渾天儀(こんてんぎ)
陰陽師も天文観測に用いた天球儀で、赤道帯や黄道帯などが詳細に示されている図版
出典:Armillary sphere, Plate LXXXVII / Public domainより
天文や暦の知識も陰陽道の大事な柱。星の動きや日食・月食、季節の移り変わりなどを観測・記録することで、暦を作り、吉凶を判断していました。
…なんていう判断にも、陰陽道の知識が使われてたんですよ!
陰陽道は学問としてだけじゃなく、ちゃんと役所としても成立してました。代表的なのが陰陽寮。そこには、以下のような役職があったんです。
それぞれが分担して学術的・実務的な業務をこなしていたという点で、当時の“学問の総合大学”みたいな側面もあったんです。
陰陽頭
陰陽助/陰陽権助
陰陽大允/陰陽少允
陰陽大属/陰陽少属
使部20、直丁2〜3
晴明神社 拝所と本殿の風景
陰陽道を体現する晴明神社において、民間信仰と神仏習合の伝統が息づく拝所と本殿の風景
出典:Naokijp氏 / Wikimedia Commons CC BY-SA 4.0より
平安時代になると、陰陽道は道教・神道・密教とどんどん融合。現代でいう「スピリチュアル」のルーツみたいな存在になっていきました。
式神や呪符、鬼門などの考え方もここから広まり、庶民の間でも「災厄を避けるためのおまじない」的に受け入れられていったんです。
今でも京都の晴明神社などではその名残を感じることができますよ。
陰陽道とゆかりのある料理「うな重」
陰陽道に基づく季節区分と暦意識が反映された食文化の一例──特に土用の丑の日にうな重を食べて栄養を補う習慣がある
出典:Photo by Wei-Te Wong / Wikimedia Commons CC BY-SA 2.0より
実は陰陽道の考え方って、今の私たちの生活にも根を張ってるんです。たとえば…
このように、意識せずとも私たちの暮らしの中に息づいているんですね。
五行要約