
陰陽道(おんみょうどう)の世界では、「式神」と呼ばれる存在がしばしば登場しますよね。その中でも、古代中国から伝わった十二天将(じゅうにてんしょう)は、ただの式神じゃなくて、しっかりとした星の配置や占術に基づく神格たちなんです。
平安時代の陰陽師・安倍晴明も彼らを式神として用いたという伝承が残っているくらいですから、その影響力は相当なもの。このページでは、この十二天将がどんな存在で、どう陰陽道と関わってきたのかを、わかりやすくかみ砕いて解説します。
十二天将の起源は、中国古代の星官思想※、とくに北極星の周囲にある天一神の信仰から始まります。天一神を中心に前後左右に配置される形で、十二の神将が生まれたんです。
この体系は後に六壬(りくじん)占術や奇門遁甲といった高度な占いの術式にも組み込まれ、時間・空間・方位・季節の吉凶判断に使われるようになりました。
※星官思想(せいかんしそう)
中国古代の天文思想で、夜空の星々を「星官」と呼ばれる官職や器物などに見立て、天と地上の政治・社会を対応させるもの。三垣・二十八宿などの星座体系があり、星の配置や動きから吉凶を占う占星術と密接に関係する。王朝の正統性や災異の予兆を読み解く思想として発展した。
蘇州石刻天文図(宋代)
中国・蘇州に残る石刻の星図。古代中国の星官思想をもとに天空の星々を分類・配置したもので、後の陰陽道における十二天将の起源と関連づけられる
出典:Author:Wang Zhiyuan and Huang Shang / Wikimedia Commonsより
十二天将は、見た目や性格がただバラバラなだけじゃなく、しっかりと五行・十二支・方角・季節・吉凶の属性に割り振られています。
属性の偏りや重なりによって、占術での意味合いも変わってくるんですね。
日本では、6世紀に陰陽五行思想が伝わった後、安倍晴明をはじめとする陰陽師たちが中国の占術を吸収・応用しました。中でも『占事略決(せんじりゃっけつ)』という書物に、十二天将を用いた具体的な方法が記されているんです。
式盤と呼ばれる占いの盤に、彼らを象徴配置して吉凶を占ったり、特殊な呪符と真言を使って式神として使役することもあったとされます。
六壬式盤
陰陽師が陰陽道に基づく儀式や占術で使用する式盤。天盤と地盤の回転により時間・方位・十二支等を読み取り、吉凶判断に活用される複雑な装置
出典:Author:Wikiwikiyarou / Wikimedia Commons CC BY-SA 3.0より
現在のアニメやゲームでは、十二天将が「召喚して使う守護神」みたいなノリで描かれがちですが、本来の式神というのはもっと象徴的なものでした。
とはいえ、時代が下るにつれて「十二天将=晴明の式神」というイメージが強まり、護符や魔除けとして民間信仰の対象になっていったんです。江戸時代にはすでに神社のお守りにその名前が入っていたりして、完全に生活の一部になっていました。
不動利益縁起絵巻の一場面
園城寺(三井寺)の縁起『不動利益縁起』絵巻から、安倍晴明が式神2匹を従え、病身身代わりの祈祷を行う中盤の場面
出典: Wikimedia Commons public domainより
おもしろいのは、最近のアニメやゲームでも十二天将がキャラクター化されてバリバリ活躍しているところ。たとえば『陰陽師(NetEase)』や『双星の陰陽師』『東京闇鴉』などでは、晴明と共に戦う式神の一員として登場します。
これは古代の星信仰や陰陽道の知恵が、現代的にエンタメ化された結果なんですよね。もはや伝統の再解釈、再構築の一例と言っていいかもしれません。
五行要約