蘆屋道満こと道摩法師という人物は、陰陽道に優れ、安倍晴明のライバルと目された平安時代の陰陽師です。
大抵の伝承で清明のライバルとして登場し、さらにかなりの確率で正義の味方清明を陥れようとする憎き悪役という役回りです。
現代の映画や小説でもそんな役回りばかりやらされるものだから、今なおダークなイメージがつきまとっているちょっと不憫な人です。
(最近ジャンプでやってたぬらりひょんの孫なんかでは、珍しく清明が悪の黒幕をやってて、道満の子孫が主人公側でした。)
道満の悪役エピソードとして有名なのは、寛文2年(西暦1662年)刊行の仮名草子『安倍晴明物語』での話です。清明が留守の間、清明の妻梨花(りか)と関係を持ち、怒った清明と命をかけた術比べをし、インチキで勝って清明を手にかけ、梨花を我が物にしたという話です。
道満に邪魔はいなくなったと思われましたが、清明は師匠により蘇生させられ、すぐさまズルで自分を手にかけた男に復讐を果たし、元妻の梨花も裏切り者として殺してしまいました。
史実の道満はどのような人物だったのでしょうか。伝承での道満の描写は、物語を盛り上げる為に汚れ役をかわされている部分があり、必ずしも忠実ではありません。
道満は幼い頃から清明に劣らないの素質を持って生まれてきました。そして道満の石碑には、道満は陰陽師としての力を使い民間の人々に尽くしたと書かれており、流布されているイメージとはかなり違うことがわかります。
むしろ清明は権力者寄りな立場で、民間とは距離があったんですよ。陰陽寮に属さず、民間の信仰を集める道満のような存在は、朝廷からすれば邪魔な存在でした。
そして政敵に雇われて、時の権力者である藤原道長を呪詛しようとした罪で、清明を道満討伐に向かわせたのです。2人は激闘の末力を使い果たし倒れたと伝えられています。
2人が生死をかけて戦った場所として有名なのが、兵庫県佐用郡佐用町大木谷でここには2人の塚が祀られています。